古代の鉄は何に使われた? 〇〇との重要な関係性

 こんにちは、八俣遠呂智です。

邪馬台国の【鉄】シリーズ、三回目です。

紀元前17世紀に古代トルコ・ヒッタイトで始まった製鉄。これを使って大量の武器を生産し、強力な軍事力を持つようになった。というファンタジーが一般的に語られます。しかしその説には大きな欠陥がある事を前回に指摘しました。ヨーロッパで実用的な鉄の武器が生産されるようになったのは、ほんの数百年前です。

 今回は、鉄の発明によって人類が手にしたものは何か? という視点で考察します。

 古代社会における鉄の使用用途は何だったのでしょうか?

すぐに思い浮かぶのは戦いの道具、すなわち武器としての鉄器でしょう。そしてそれによって強力な軍事力を手に入れた。と類推してしまいますよね?

 ところが古代における鉄の生産技術や加工技術からは、鉄製の武器は決して大量に生産できたものではなく、実用性にも乏しいものだった事が見えてきます。

 古代の鉄製の武器は、権力者のみが手にする事ができた「威信財」だったのです。つまり装飾品と同じレベルのものでした。

 では古代において、鉄を活用した実用品は何だったのでしょうか?

普通に考えれば工具類ですね?

 建築や造船用の木材加工の工具。木材を繋ぎ合わせる為の金具。農地開拓の為の土木作業用具。作物を刈り取る為の農作業用具。などがあります。

 それ以前には、黒曜石などの切れ味の鋭い石器を使ったり、麻紐などのロープで木材を繋ぎ合わせたり、木材の土木工具が使われたりしていました。それに比べて、鉄を使った道具類は遥かに頑丈で切れ味も鋭いのは間違いありません。

 ただしこれらも、大きなものでは大量生産できません。また、有れば有るに越した事はないけれども、無ければ無いで何とかなる。というレベルのものです。古代社会を一変させるほどのインパクトがあったわけではありません。

 では、鉄の生産によって人類が手にした最も実用的な道具はなんだったのでしょうか?

私はそれを、馬の蹄に打ち付ける蹄鉄、だと推測します。

 人類の歴史の中で、「馬」という強力な動力を手に入れたのは、革命でした。これは、鉄の生産と密接に結びついています。それが蹄鉄です。

 蹄鉄について述べる前に、馬について考えてみましょう。当たり前ですが、馬はそもそも野生の動物です。 野生の馬を捕まえて、いきなり荷物を載せたり荷車を引かせたりなど、できる訳がありませんよね?

家畜化して、人間に都合が良いように飼育する中で、最も大きな問題は、蹄の損傷でした。蹄が摩耗してしまっては、馬は使い物になりません。

 野生の場合には、食べられている雑草や低木に高い栄養価を持つベータカロチンが含まれていますので、頑丈な蹄となります。ところが、人間が与える餌によって育てられた場合、カロチンが含まれる割合が低く、軟弱な蹄になってしまいます。

 また、野生の馬は厳しい環境下に置かれ続ける為に、蹄はたこのように厚く、頑丈になっていきます。ところが、家畜化によって馬の環境は限定的なものになり、蹄は堅くならず傷にも弱くなってしまいます。

 さらに人間が馬を使う場合には、とても重い荷物を載せたり、荷車を引かせたりしたりします。自然環境では有り得ない重量と負荷は増加して、蹄の摩耗が顕著になってしまいます。

 一旦、蹄が損傷した場合、馬は全く使いものにならなくなります。その為、古代から蹄を守る様々な工夫が凝らされてきました。

 鉄製のものが使用される前までは、人間がブーツを履くように藁や布・皮・毛皮などで蹄を保護していたようです。もちろんこれらは柔らかい上に耐久性が弱いので、ほとんど使い物になりませんでした。

 そこへ登場したのが、鉄で蹄の形を作って打ち込む「蹄鉄」です。現代でも同じように使われていますよね? この蹄鉄がいつごろから使われ始めたかは、諸説があります。一般には、紀元前六世紀頃の中央アジアだとされています。製鉄が始まった古代トルコ・ヒッタイトのすぐ西側の地域です。

 家畜を飼育しながら移動する遊牧民が発生した地域であり、時代的にも一致します。彼らが蹄鉄というとても実用的な方法を発明して、馬を強力な動力源として利用するに至ったのです。

 私は、これこそが古代社会における最も実用的な「鉄」の活用方法だったと考えます。

原始社会では人力だけで行われていた重労働を馬の力で行ったり、長距離移動の重い荷物の運搬を馬に運ばせたりと、それまでの常識を覆す一大革命だったと推測します。

 現代社会で例えるならば、鍬や鎌を使って農作業や土木工事を行っていたのが、トラクター、ユンボ、ダンプカーなどの重機へ置き換わったり、人力車で運んでいた荷物を大型トラックで運ぶようになったりと、何倍も何十倍も飛躍的に作業効率が高まったようなものです。

 蹄鉄を装着した馬によって遊牧民が手に入れたのは、広大な支配地域でした。中国北部の匈奴や高句麗、時代は下ってモンゴル帝国、あるいはヨーロッパを侵略したフン族などは、まさに馬という動力を最大限に活用できたからです。彼らは、鉄の鎧兜を装着して重い鉄の刀を振りかざして、諸国を侵略した訳ではありません。蹄鉄を付けた馬がいたからこそ、機動性に富んだ戦術・戦略が可能になり、周辺の農耕民族たちの脅威になったのです。

 またこれと同時に、文化の迅速な流動性という役割りも果たしました。東洋文化が西洋へ、西洋文化が東洋へと、以前には何百年もの歳月を要していた文化の伝達が短期間に起こるようになったのも、蹄鉄を付けた馬がいたからこそです。

 日本列島では、馬の伝来は五世紀頃とされています。これは近畿地方への伝来の話であって、九州や日本海沿岸各地へは、四世紀頃には伝来していたでしょう。魏志倭人伝には、馬はいないと記されていますので、今回の蹄鉄に関する話とは一致しません。

また、日本列島での蹄鉄の歴史はとても浅く、せいぜい江戸時代あたりから、とされています。その理由は、日本在来種の馬は蹄が固く、蹄鉄が無くても走行にさほど問題がなかったことから、とする説が一般的です。もちろんそれもあったでしょうが、ユーラシア大陸のような何万キロも平原が続く地形とは異なっていた事もあるのではないか? と推測します。日本の平野は大陸と比べると、「猫の額」以下のちっぽけなものですからね?

 古代日本での鉄の最も有効な活用方法は、蹄鉄ではありません。

この辺は、次回以降に考察します。

 いかがでしたか?

蹄鉄は実用的な消耗品ですので、出土する事は稀です。鉄剣のように権力者の威信財として大切に扱われたものでは無いだけに、錆びついて消滅してしまうのです。その為に、いつ頃から蹄鉄が使われ始めたかは分かっていません。しかしながら東アジアにおいて匈奴や高句麗といった騎馬民族国家が成立したのは紀元前の事ですので、その頃には確実に使われていた事でしょう。

 次回は、倭国日本に於ける実用的な鉄の活用方法について考察します。

JAPAN は、日本の中国語読み

 英語で日本の事を指すジャパンですが、元々これは「日本」という漢字を中国語、その中でも北京語で読んだ言葉だとご存知ですか?

 私、若いころ中国語(北京語)を少し齧った事があるのですが、最初に衝撃を受けたのが、「日本」の読み方でした。どういう発音かというと、カタカナで表現するのは難しいのですが、

「ルーペン」

となります。これを意識せずに聞くと、

「ズパング」

と聞こえます。そうです。マルコポーロが東方見聞録で記した「黄金の島ジパング」です。

「ジパング」というは、私はてっきりイタリア語で「黄金の島」を意味しているものとばかり思っていました。ところがイタリア語にそんな単語はありません。

 ジパングという言葉がどこから出て来たかというと、マルコポーロが北京商人から聞いた言葉だったようです。中国はその頃「元」の時代で、首都は北京に移っていました。そこを訪ねたマルコポーロが北京商人たちの説明で東アジアの様子を理解した。というのが始まりだったようです。北京商人は、「東の方角に黄金に島・日本がある」、と説明したのでしょう。

北京語で「ズーパング」。これがマルコポーロの耳には、「ジパング」に聞こえた。という訳です。

その後ジパングというイタリア語は、イギリスに伝わるまでに、「ジャパン」に変わったという事ですね。

 これは私の大発見だと思っていたのですが、色々調べましたら、当たり前だったようです。

まあ、英語のジャパンが中国語が根源だというのは、ちょっと悔しい気持ちになりますから、学校でも教えないのでしょうね?

 ご存知だった皆様、つまらない話ですみませんでした。

ご存知だった皆様、すみませんでした。