三韓征伐 鉄の利権

 邪馬台国・卑弥呼の時代(3世紀)の「鉄」の輸入元は?

 前回は、魏志東夷伝の記述から、朝鮮半島南部の弁辰の可能性を挙げました。

但し、そこは地下資源が決して豊富といえる場所ではありません。

 一方、鉄鉱石や石炭の産地は、朝鮮半島北部や中国東北部で、その当時は高句麗でした。

 高志の国が潤沢な鉄を手に入れたとすれば、高句麗から入手していたと考える方が自然でしょう。

 邪馬台国時代の、倭国と高句麗との関係は、三国志の中には見当たりません。

 今回は、古事記・日本書紀の神話である三韓征伐や、高句麗の石碑・好太王碑など数少ない証拠から、高句麗からの鉄の入手ルートを推察します。

鉄の利権1
魏志東夷伝 中国東北部

 まず、二世紀~三世紀頃の中国大陸東北部についての概略です。

 三国志の魏志東夷伝には、朝鮮半島北部や中国東北部の国々の記述もあります。残念ながら、その中に倭国との関係の記載は無く、「鉄」に関する記載もありません。

 東夷伝の内容から、おおよその位置関係を示します。

高句麗、東沃沮(とうよくそ)、濊(わい)、夫餘(ふよ)です。倭人伝と同じように、それぞれの風俗・習慣などが記されています。異なる風俗・習慣だったようですが、『高句麗と似ている』との説明があるので、ツングース系の同じ騎馬民族だったようです。ここでは、高句麗として一括りにします。

 当時この地域では、当たり前のように鉄器が使われていたので、東夷伝の中では、特筆すべき事ではなかったので、鉄に関する記述が無いのでしょう。

 なお、朝鮮半島南部地域は、それぞれ、新羅、百済、任那と記します。

鉄の利権2
鉄鉱石と石炭の産地

 次に、この地域の鉄鉱石や石炭の産地です。

 日本海沿岸部の東沃沮(とうよくそ)には、北東アジア最大規模の埋蔵量を持つ茂山郡(ムサンぐん)の鉄鉱石と、朝鮮半島最大の石炭資源がある恩徳郡(ウンドクぐん)があります。この地域は、現在、北朝鮮領になっているので、二世紀~三世紀に開発されたいたかどうかは、検証されていません。しかしながら、この地域に限らず、高句麗が支配していた朝鮮半島北部と中国東北部には、鉄鉱石と石炭の資源が多く、古代から鉄の生産が盛んだったのは間違いありません。

 この地域と倭国との明確な関係が示されている高句麗の好太王碑(こうたいおうひ)は、中国吉林省通化市集安市にあります。ここは、内陸部の中国と北朝鮮との国境近くです。古代において鉄を求めた倭国が、日本海沿岸だけでなく、この近辺まで侵略していた可能性もあります。

鉄の利権3
神功皇后の三韓征伐

 邪馬台国時代の倭国が朝鮮半島を侵略したのは、神功皇后の三韓征伐です。

以前の動画「なぜ越前だったのか?(13): 神功皇后は卑弥呼」にて、概要を紹介していますので、ご参照下さい。

 この三韓征伐は、高句麗への鉄の利権拡大を狙った邪馬台国の実話を元にしていると思われます。

 神功皇后は、高志の国・敦賀に拠点を置いて、北部九州で熊襲征伐を行った後、対馬海峡を渡り、新羅と戦い、百済、高句麗を次々に征伐した事になっています。この中で、直接の戦闘が記されているのは対新羅戦だけです。これは、朝鮮の史書『三国史記』新羅本紀や梁職貢図(りょうしょくこうず)に、倭国の侵略があった事や、倭国の支配下に入った事を示す根拠があります。

 また、高句麗については、後の時代に倭国を撃退した記載のある好太王碑(こうたいおうひ)があります。これは、高句麗が朝鮮半島の国々を支配下に治めたという、戦勝の記念石碑です。その中には「倭」の記載や「倭寇」という記載もあり、朝鮮半島での倭の侵略を窺わせる記述が数多くあります。414年に建てられた石碑ですので、三世紀に神功皇后が高句麗に侵略していたとしても、不自然ではないでしょう。

 神功皇后の三韓征伐では、新羅の踏鞴津(たたらのつ)に侵攻し製鉄の技術者を連れて帰還したという記述があり、朝鮮半島の「鉄」の利権拡大が最も重要な目的だったのでしょう。

 これは高句麗側にしてみれば、『倭寇』という迷惑な侵略者集団だったわけで、これを退治した記念に好太王碑が建てられたのも、頷けます。

 

 次回は、神功皇后が高志の国・敦賀を拠点としていた事や、三韓征伐に向かった航路・当時の航海術などを再検証し、高句麗と高志の国との直接交流の可能性について考察します。