弥生時代末期に水稲栽培に適した土地、それは・・・?
古墳時代の近畿地方のように、巨大な淡水湖が干上がった土地です。もちろん、水田稲作に適さずとも、弥生時代に畑作や果樹栽培に適した土地は、日本中に数多くあります。ここではあくまでも、古代の水田稲作技術で米を大量収穫できた場所を、特定してゆきます。
日本のほとんどの平野は、縄文海進の後の沖積層からなっています。沖積層といっても、砂やシルトの様な粒の大きい堆積物と、泥質で山々からの栄養分を多く含んだ堆積物では、雲泥の差です。もちろん泥質の沖積層が、水田稲作には適しています。
また、河川だけで成り立った沖積層と、淡水湖に堆積した沖積層では、大きな違いがあります。それは、平地の面積と傾斜です。淡水湖が干上がった平地は、広大で、べったりと平坦な沖積層となります。
河川だけで成り立った沖積層も下流域では比較的平坦ですが、三日月湖跡のように僅かな広さで、淡水湖跡の沖積層ほどの大面積は得られません。また、河川の周辺は雑木林となるため、大掛かりな開墾作業が必要です。
では、淡水湖が干上がった主な平地は?
九州:都城盆地、日田盆地、直方平野、菊池盆地
近畿(太平洋側):大阪平野の河内、奈良盆地の南部、京都盆地の南部、琵琶湖の一部
北陸:福井平野、大野盆地
甲信越:松本平、甲府盆地
関東:秩父盆地
東北:山形盆地、横手盆地
このうち、弥生時代後期(紀元前一世紀頃)に大部分が干上がっていたのは、
日田盆地、福知山盆地、豊岡盆地、福井平野、秩父盆地、山形盆地、横手盆地です。
奈良盆地や大阪河内が完全に干上がるのは、四世紀頃で、ちょうど古墳時代と一致します。
なお、都城盆地、日田盆地、甲府盆地、山形盆地は、火山の影響によるリン酸が欠乏する黒ボク土で、秩父盆地は、栄養価の少ないローム層の堆積地です。そのため、古代の技術では良好な米の収穫は得られません。
さらに、面積の大きさと傾斜度の低さで絞り込むと、福井平野(越前)がNo.1となります。
国土地理院作成の、現代の福井平野の標高図にリンクしてありますので、ご参照下さい。
海抜10メートルまでの平地が、幅10キロ、長さ40キロに渡って広がっています。
「これくらいの平野は、どこにでもあるだろ!」
と思われるでしょう。確かに現代では、珍しくありません。それは奈良時代以降、丘陵地の整地・開墾が繰り返され、水田に適した土地を爆発的に増やしたからです。巨大な関東平野や濃尾平野も、弥生時代までは雑木林地帯で、容易に開墾できる平野ではありませんでした。しかし、福井平野(越前)は違います。丘陵地を削った歴史はほとんどありませんし、淡水湖の水が引いたばかりだったので雑木林にもなっていませんでした。逆にあまりに平坦で雑木林が無いがゆえに、河川の氾濫の後の水引が悪く、河川堤防工事が昭和中期まで行われていたという歴史はあります。中心部を流れる暴れ川(九頭竜川)の名前からも、想像されるところです。
「河川の氾濫が多い? それじゃダメだろう!」
と、私も最初は思いました。ところが・・・。
氾濫: 川の水嵩が増し、溢れ出た状態
洪水: 川の水嵩が増し、土砂を伴って溢れ出た状態
下図をご覧下さい。左が名古屋市の降水量、右が福井市の降水量です。
濃尾平野と福井平野(越前)の、氾濫が起こる時期を比較するための参考資料です。
濃尾平野では、梅雨時期から台風時期の6月から9月にかけて、河川の水量が最大となり、氾濫します。
しかも集中豪雨ならば、土石流のような洪水になります。それに対して福井平野では、豪雪地帯なので冬場の降水量が最も多く、春になるとじわじわと雪解けが始まって、河川の水量が最大となるのは、3月~4月頃です。
弥生時代という治水技術が未発達だった頃、濃尾平野は稲の生育時期や収穫時期に氾濫が起きて、安定した米の生産が出来ませんでした。福井平野は、田植え前の一番水が欲しい最適の時期に、氾濫が起きています。また、集中豪雨は比較的少なく、豪雪となっても洪水になることはありません。
したがって、福井平野(越前)が、弥生時代の水田稲作には最高の場所だったことが分かります。
なお当時の稲作技術は、原始的な直播栽培ではなく、現代と同じように、苗を育ててから植える方法です。これは、弥生時代中期頃には確立されています。この方法であれば、田植え前に土地に水がある状態は最適です。
濃尾平野については、治水技術・整地技術が発達した室町時代以降に、日本最大規模の水田稲作地帯になった事は、言うまでもありません。
織田信長も言いました。 「美濃を制する者は、天下を制する。」 と。
いずれにしても、治水技術が稚拙だった弥生時代後期においては、越前が最も優れた水田稲作地帯で、規模も当時としては最大だったと言えます。
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