邪馬台国・越前を流れる足羽川水系には、卑弥呼時代(3世紀)よりも後の時代に、豪華な出土品があります。五世紀の古墳からは、金の耳飾りや、大量の鉄器、装飾品類が見つかるなど、卑弥呼・壱与の次の世代の遺跡が存在しています。
さらに、越前の大王・継体天皇が近畿を征服した後の飛鳥時代には、法隆寺に匹敵する五重塔がこの地に建っていました。
今回の散策は、古墳時代の邪馬台国の様子を知る上で、重要な遺跡群です。
また、田んぼの真ん中に古墳があったり、民家の庭に古墳があったりと、不思議な景色を楽しめる場所でもありました。
これは、足羽川流域を拡大した地図です。
前回、弥生時代の出土品のある「荒木遺跡」と「花野谷1号墳」を散策しました。
今回は、弥生時代よりも後の時代の出土品のある「酒生古墳群」、および「御茸山古墳群」です。
酒生古墳群は、足羽川が福井平野に注ぐ北側の一帯です。丘陵地や山麓部に、総数320基以上ある北陸最大の古墳群です。時代としては、四世紀以降なので、卑弥呼や壱与の後のものです。
一方、御茸山古墳群は、足羽川の南側です。総数155基の古墳が見つかっています。
散策は、主に出土品の多い酒生古墳群の丘陵地帯を訪ねました。
この地図は、酒生古墳群の丘陵地の古墳分布です。 ここには、天神山支群と横山支群などがあります。
天神山支群は、わずか直径100mほどの小山の中から、金の耳飾りを始めとする様々な出土品があります。ただし、現在は小山は消失し、新興住宅地になっています。
横山支群では、田んぼの中や家の庭に1500年前の古墳が存在するという、不思議な場所です。
御茸山古墳群の地図です。155基の古墳が発見されていますが、発掘調査はほとんどされていません。いつの時代のお墓なのか、どんな品々が眠っているのか、興味をそそられますが、発掘の予定は無いそうです。
酒生古墳群の横山支群には、田んぼの真ん中や、民家の庭に1500年前の古墳があったり、点在する雑木林が古墳だったり、と不思議な場所でした。
また、天神山支群には豪華な出土品が多く、古墳時代の強力な豪族が居た事を物語っています。さらに、飛鳥時代から奈良時代に掛けても、その勢力は健在だったようです。奈良の法隆寺に匹敵する建造物の基礎も、発見されているからです。
卑弥呼一族から継体天皇へ、そして、この酒生古墳群一帯を支配した豪族へと、邪馬台国は引き継がれて行ったのでしょう。