邪馬台国から継体天皇の古墳時代までの遺跡は、かつての淡水湖を取り囲む様に分布しています。他の遺跡と同じように、山ぎわの少し小高い丘の上です。墳墓・古墳・環濠集落など、多くの遺跡があります。ただ、これまで越前は注目されていなかったせいか、全く観光地化されていません。今後、邪馬台国の証明が進めば、弥生時代最大の遺跡群として脚光を浴びることでしょう。
なお、低地は耕作地ですので、2000年以上に渡って水田稲作が続けられており、登呂遺跡のような耕作放棄地がありません。その為、大規模環濠集落の遺跡は少ないです。現代でも水田地帯として広がっている平野のすべてが、邪馬台国時代からの遺跡です。
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