これまで13回に渡って、中南部九州を調査・考察して来ました。今回からは総集編です。
この地域の弥生時代を俯瞰してみて、いくつかの新たな発見がありました。
今回は、弥生時代の農業事情や考古学的史料から、菊池盆地が最も強力でしたので、邪馬台国の場所だった可能性も振り返ってみます。
中南部九州の大きな特徴は、火山が多い事です。古代の国家は自然の条件、特に農業と密接に結びついていますので、この影響ははかり知れません。
天然の水田適地という観点から弥生時代のこの地の農業を俯瞰した場合、一定規模以上の面積があったと推測されるのは、菊池盆地、人吉盆地、都城盆地、です。これらは淡水湖跡の沖積平野ですので、通常であれば大規模水田稲作が可能だった筈です。ところが、人吉盆地と都城盆地は、土質が火山の影響による黒ボク土ですので、水田稲作には適しません。
従って、菊池盆地のみが、弥生時代に強力な豪族が出現できる下地があったという事になります。
なお、熊本平野、八代平野、宮崎平野などの河川による沖積平野は、その当時にはほとんどが海の底でしたし、水田適地は沿岸部に限られていましたので、ここでは考慮しません。
また、奄美群島や沖縄諸島は面積が狭いですし、弥生時代に大陸が存在していた可能性もありませんので、考慮しません。
菊池盆地に注目してみると、九州島全域の中でもトップクラスの広さを持つ天然の水田適地です。筑紫平野のような河川による沖積平野ではありませんし、博多湾沿岸地域のような扇状地でもありません。同じような構造では直方平野がありますが、ここは頻繁に水没していますので、菊池盆地の方がより確実な農業生産が上がっていたものと考えられます。
この菊池盆地が大規模な水田適地だった事と相関するように、顕著な弥生遺跡もこの地域に集中しています。
まず中南部九州の弥生遺跡を俯瞰してみると、ほぼ壊滅状態といっていいほど、特筆すべき遺跡や出土品はありません。北部九州の弥生遺跡とは比べ物にならない悲惨な状態です。
その中で、菊池盆地周辺だけが一人気を吐いている、といったところです。特に、鉄器類の出土が多いのが特徴です。これは、阿蘇黄土と呼ばれる鉄の原料になる材料が産出される事も一因です。鉄製品は、阿蘇カルデラ内部の弥生遺跡から最も多く出土されており、隣接する菊池盆地からも出土しています。弥生時代の製鉄所は、日本列島の中で確実なものはまだ見つかっていませんが、この地に日本最古の製鉄所があった可能性があります。また、北部九州の弥生遺跡から出土している鉄製品の多くが、この地で生産された可能性もあり、鉄の供給基地としての役割があったのかも知れません。
文献史学上では、中南部九州が登場するのは、天孫降臨から神武東征にいたる日向の国を除いて、ほとんどありません。強いて言うならば、熊襲と言う名の勢力でしょうか。ヤマトタケルから神功皇后まで、ヤマト王権に対抗していた勢力とされています。
その中で具体的に人名が記されているのは、土蜘蛛の女酋長・田油津媛です。これは一般には、筑紫平野の有明海沿岸部の「山門」されています。しかしこれは、むしろ菊池盆地の「山門」だった可能性があります。
当時はほとんどが海の底だった筑紫平野の山門よりも、菊池盆地の方が遥かに水田適地に恵まれていましたので、この地を拠点とした豪族こそが女酋長・田油津媛であり、熊襲の本拠地だったように思えます。
一方、継体天皇の時代に起こった磐井の乱ですが、この本拠地もまた菊池盆地だったのではないか?と思えます。磐井勢力は、筑後の国風土記逸文に登場する豪族で、現在の福岡県八女市あたりの豪族とされています。しかしこれも菊池盆地の勢力こそが主力部隊であって、筑紫平野の方は、出先機関のような役割だったのではないでしょうか? この根拠もやはり水田適地です。筑紫平野の八女・山門あたりは、現代でこそ広大な水田が広がっていますが、古代にはほとんど海の底や湿地帯でしたので、大きな農業生産は得られなかったものと考えられるからです。
これらのように、菊池盆地は中南部九州だけでなく、九州全体を見てもかなり大きな勢力があったと推測します。
ところで、邪馬台国熊本説というのがありますが、天然の水田適地の観点からは、ある程度の説得力があると思います。また、魏志倭人伝の邪馬台国までの行路を、記載されている方角を正確に辿って行くと、菊池盆地や阿蘇カルデラあたりが「不弥国」と成り得ます。残念ながらその先の投馬国へは、南へ水行20日となっているので、途端に矛盾が生じてしまうという欠点がありますので、邪馬台国である可能性は低そうです。
但し、「帯方郡からの放射説」などというトンデモナイ曲解を用いれば、この地を邪馬台国にしてしまう事も可能ですが、これは笑い話程度にしておきます。
邪馬台国論争における中南部九州は、菊池盆地がかろうじてテーブルに乗るくらいで、そのほかの地域の可能性はありません。弥生時代のこの地域は、女王国と敵対していたとされる狗奴国だったのかも知れません。古事記や日本書紀に記されている熊襲との整合性も取れそうです。ヤマト王権に敵対していた勢力ですし、音韻的にも類似性があります。
次回は総集編第二弾として、日本神話の原点とも言える日向の国に関してです。