古代の青銅鏡の中で、最も多く出土しているが三角縁神獣鏡です。邪馬台国の比定地論争では、必ずこの鏡の話題にも関連付けられます。特に畿内説論者の心のよりどころのような存在です。それは、分布地域としては近畿地方が中心ですので、この鏡を魏からの下賜品と断定できれば、自説に有利だからです。しかしそう簡単には行きません。九州説論者との屁理屈合戦で、一向に議論が進まないのが現状です。
今回は、この三角縁神獣鏡の基本的な内容を整理し、次回以降に「魏の下賜品」の可能性について考察します。
「三角縁神獣鏡」と言う名前は、鏡の縁部の断面形状が三角形状になっており、模様に「神と獣」が刻まれているという解釈から名付けられた名前です。鏡の大きさは平均して直径が20cm程度で、鏡面がゆるやかな凸面を持っています。
この鏡は、近畿地方を中心として、全国各地の古墳から出土し、その総数は500枚以上と言われています。
個人や古物商の所有、逸失したものも多いとされ、正確な数値は把握されていません。
なお、中国、魏の年号を銘文中に含むものも2点発見されています。
三角縁神獣鏡の研究は1990年代から加速度的に数を増す一方で論点も膨大になり、それぞれの見解について誤解や齟齬が生まれ、また卑弥呼や邪馬台国論と安直かつ煽情的に結び付けられ、マスコミを巻きこんで混乱を極めている状況です。それゆえに、基本的な事柄についても多数の説があり、意見の一致をみていないのが現状です。
三角縁神獣鏡の出土は圧倒的に近畿地方に偏っています。全国出土数500枚の内の半分以上が近畿圏に集中しています。特に、奈良県天理市の黒塚古墳からは33枚、京都府木津川市の椿井大塚山古墳(つばいおおつかやまこふん)からは32枚、と非常に多く見つかっています。
また、大阪府高槻市の闘鶏山古墳(つげやまこふん)のように、ファイバースコープによる内部検査によって、この鏡が埋納されている事が分かっている古墳もあります。だとすれば、まだ相当数の三角縁神獣鏡が地中に眠っている可能性は極めて高く、学者によっては出土数の10倍の5000枚はあると推測する人もいます。
同じ鋳型で何枚も作られた鏡を、同笵鏡(どうはんきょう)と呼びます。同笵鏡の場合、鏡の文様から細かい傷まで全く同じ特徴を持つことになります。
三角縁神獣鏡には、この同笵鏡が際だって多く、88組とも、96種類とも言われ、出土している500枚のうち275枚が同笵鏡だというデータもあるくらいです。
具体的には、黒塚古墳で見つかった33枚の三角縁神獣鏡のうち3枚が、関東や四国で見つかっている鏡と同笵鏡である事が判明していますし、椿井大塚山古墳から出土した三角縁神獣鏡の同笵鏡は、群馬県の三本木古墳から宮崎県の持田古墳まで23ヶ所の広範囲に散らばっているそうです。
まだ馬が伝来していなかった四世紀に、このような広範囲に三角縁神獣鏡が一気に拡散したのは不思議です。
これが奈良盆地を中心とするヤマト王権の中央集権国家体制の樹立を物語っていると説く論者もいます。
あるいは、奈良盆地での権力抗争に敗れた豪族が日本列島各地に分散していったのかも知れません。
この三角縁神獣鏡の拡散は、古墳時代の最も特徴的な現象である前方後円墳の拡散とよく似ています。四世頃に日本列島に一気に伝播した状況と酷似しています。
ただしこの事は、三世紀の邪馬台国時代の銅鏡かどうか、という疑問に対する答えには、全くなっていません。
古代の青銅鏡の背には、模様の他に文字が刻まれているものがあります。これを「銘文鏡」と呼びますが、その中でも中国の年号が書かれていて製造年が特定できるものを紀年鏡あるいは紀年銘鏡と呼んでいます。
三角縁神獣鏡では、「魏」の時代の年号を持つ紀年鏡として、次の2枚が確認されています。
島根県加茂町の神原神社古墳から出土した景初三年の銘が入った三角縁神獣鏡と、
京都府福知山市の天田広峯(あまだひろみね)遺跡から出土した景初四年の銘が入った三角縁神獣鏡、です。
(なおこちらは龍のデザインが異なる為、三角縁盤龍鏡とも呼ばれています。)
景初三年とは、邪馬台国・卑弥呼が最初に魏へ朝貢した年であり、魏の皇帝から下賜された可能性を示唆するものです。ところが、景初四年という年号は、中国では存在しません。これは、魏の皇帝が景初三年に亡くなっているからです。
この紀年鏡を巡っても、様々な意見が乱立しており、全く結論は出ていません。
ところでこの二枚の紀年鏡、面白い事に、出土した地域は、近畿地方ではありません。島根県や京都府北部という日本海側だという事です。これは、邪馬台国越前説において、女王國が日本海沿岸地域だったとする説と、地理的には完全に合致しています。
三角縁神獣鏡を巡っては、紀年鏡に関する事以外にも、様々な論争が起こっています。
・舶載鏡か仿製鏡か?
・時代的に邪馬台国のものではない?
・三角縁神獣鏡の序列が低いのではないか?
などなど、多様な意見は噴出しているものの、何の解答も得られていないのが現状です。
これらについては、次回の動画にて詳細を述べる事にします。
三角縁神獣鏡を巡る議論は、邪馬台国の比定地論争の場外戦とも言える戦いです。
いくら議論したところで、どこまで言っても水掛け論なのです。ハッキリした事実に基づく議論ではなく、空想と仮説の上に立った議論だからです。
今回、三角縁神獣鏡の基本を整理したに過ぎませんが、これだけでも卑弥呼の鏡ではないという推測が成り立ちます。四世紀という弥生時代が終りを告げ、古墳時代の幕が開けた時代に、急速に邪馬台国とは違う勢力が近畿に出現した証拠になるからです。
また、邪馬台国論争において、物品から「女王の都」を見つけ出すのは、無理でしょう。鉄、絹、翡翠、丹、など産地であろうがなかろうが、女王國の一部の比定にはなっても、女王の都の比定にはならないからです。青銅鏡にしても、三角縁神獣鏡が魏からの下賜品である事が確定したところで、近畿地方が邪馬台国だという証拠にはなりません。
次回は、三角縁神獣鏡の平行線を辿っている議論の内容についてです。