前回は、「越前がに」が「エチゼンクラゲ」を餌として巨大化するという説を紹介しました。これは、対馬海流の影響が大きく作用している事を示唆しています。
また、邪馬台国を調査する中では、常に「対馬海流の作用」を強調してきました。
ところが、海流というのは目に見えるものではありません。本当に海を流れているのでしょうか。
「文献に載っているから」というのでは文献史学者と同じで、古代史研究者としては失格です。
今回は、目に見える形で現れている「対馬海流の作用」の事例を幾つかピックアップしました。
前回、越前がにが巨大化する一つの説として、エチゼンクラゲの存在を示しました。「エチゼンクラゲ」は、そもそも、中国の黄海にいるクラゲで、その一部が、対馬海流に乗って日本海に流れ込んで巨大化し、越前がにの餌になる、という説です。
「エチゼンクラゲ」や「越前がに」に限らず日本海を回遊する魚介類は、多かれ少なかれ越前海岸沖で巨大化しているようです。それは、暖流の対馬海流に乗ってやって来た魚介類たちは、寒流のリマン海流に豊富に存在する動物性プランクトンを餌にするので、越前海岸あたりで大きく成長するのだそうです。
このケースでは、海流の作用が「目に見える」と言うには、少し無理がありますね。
海流が目に見える形で作用しているのは、植物です。古代において、対馬海流や黒潮に乗って、中国大陸からタネや球根が運ばれ、日本列島に群生している植物があるのです。
それは、水仙です。
元々中国大陸南部の温暖な地域で自生していた水仙でしたが、その球根が海流に乗って日本列島に群生するようになりました。対馬海流に流されて来た水仙は、海流がぶつかる越前海岸に、黒潮に流されて来た水仙は、海流が引っ掛かる房総半島に打ち上げられ、群生するようになったのです。
越前は、邪馬台国があった場所ですので、対馬海流との深い関係が分かります。一方の、房総半島のある千葉県も、実は古代遺跡の宝庫なのです。
弥生時代の遺跡こそ少ないものの、縄文時代の日本最古の丸木舟が多数発見されたり、古墳時代の古墳の数は、なんと、奈良県や大阪府をも上回る、日本一の多さなのです。千葉県の古代遺跡の多さは、非常に興味深いので、今後、深く探求して行きたいと思っています。
いずれにしても、越前海岸と房総半島の水仙の群生は、海流の作用が目に見える形で現れている場所であると同時に、古代史の重要なポイントになっている地域である事が分かります。
現代において海流の作用が最も顕著に見られるのは、漂着ごみでしょう。中国・朝鮮・ロシアから日本海沿岸地域に流れ着くごみの事です。
中国の漢字や朝鮮のハングル文字、ロシアのキリル文字で商品名などが標記されたプラスティックゴミが、日本海沿岸各地に打ち上げられています。
特に漂着が多いのは、出雲半島、丹後半島という対馬海流が引っ掛かる地域や、越前海岸という対馬海流がぶつかる地域です。
漂着ごみという非常に迷惑な存在ですが、皮肉な事に、弥生遺跡の豊富な地域が、対馬海流の作用を大きく受けていた事の証明になっているのです。
1997年にナホトカ号重油流出事故という日本海での大事故がありました。
隠岐の島沖で、ロシアの大型タンカーが沈没した事故です。
19,000キロリットルもの重油を積んでいたので、大量の油が日本海を漂流する事になりました。
鳥取県から秋田県までの広い沿岸地域に漂着したのですが、最も被害が大きかったのは、対馬海流がぶつかる場所でした。
福井県の三国港です。タンカーの船首ごと流れ着き、大量の重油でその一帯が汚染されてしまいました。地元の住民だけで対応するにはあまりにも膨大な量の重油でしたので、全国からのべ30万人にも及ぶボランティアが集結して、手作業による回収が行われました。
三国で漁業を営んでいる方々には大変お気の毒で不幸な事故でした。
皮肉な事に、この事故もまた、弥生時代の最も重要な地域が、対馬海流の作用を大きく受けていた事の証明になってしまいました。
日本海を漂流するものは、必ず邪馬台国の港・三国へ吸い込まれるように流れ着く、という典型的な事例です。
対馬海流は本当に流れているみたいですね。文献を信じ込んでいる人にとっては、当たり前であっても、私にとっては現実を見てみないと、実感が湧きませんでした。
但し、文献と現実が一致するのは、「理系」の事象に限られます。古代史においては通用しません。
魏志倭人伝や古事記・日本書紀を妄信した歴史学者が「邪馬台国」を語ると、現実離れしたファンタジーとなっている現状からも分かります。
文献史学も参考程度には必要ですが、考古学・海洋学・地学・農学などの様々な視点から古代史を考察すると、現実的な結論が導き出せるのではないでしょうか。