邪馬台国の研究をしている中で、数々の奇跡的な偶然に遭遇しました。
最初は越前国との出会いです。
弥生時代の強力な農業大国を調べていただけなのに。それが越前だと分かっただけなのに。
その地からは、魏志倭人伝との完全一致、鉄器の出土No.1、継体天皇の近畿征服、古事記のヤマタノオロチ、などなど邪馬台国と比定するのに十分な根拠が湧き出てきました。
偶然の一致は、これだけではありません。今回は、卑弥呼のイメージと、実在する人物との奇跡的な一致をご紹介します。
魏志倭人伝の女王・卑弥呼は、次のように記されています。
「事鬼道、能惑衆、年已長大、無夫壻、有男弟、佐治國、自爲王以來、少有見者、以婢千人自侍、唯有男子一人、給飮食、傳辭出入居處」
鬼道の祀りを行い、人々をうまく惑わせた。非常に高齢で、夫はいないが、弟がいて、国を治めるのを助けている。王となってから、見た者はわずかしかいない。侍女千人で自律的に侍り、ただ男子一人がいて、飲食物を運んだり、言葉を伝えたりするため住まいに出入りしている。
となっています。
要は、祭事を執り行う巫女さんで、いつも引きこもっている年を取った独身女性だという事です。
このイラストのような若くて美しい女性ではありません。老婆です。もちろん若い頃にはブイブイ言わせていたかも知れませんが。
私は、この魏志倭人伝の描写から、卑弥呼のイメージとして、アパホテルの社長・元谷芙美子さんを思い浮かべていました。ただ、なんとなくです。
彼女は、お子様もいらっしゃる既婚者で引きこもりではありませんが、その怪しげな出で立ちと、人々を惑わす言動、決して美しいとは言えない容姿、老婆である事、また、なによりもアパホテルという強大なホテルチェーンのトップに君臨している姿が、卑弥呼のイメージに重なったのです。
元谷芙美子さんの経歴を見て、まず驚いたのが出身地です。
私は邪馬台国が越前にあったと主張していますが、まさにその地、すなわち福井県の出身だったのです。
まあこの程度なら、よくある話ですね。
さらなる偶然があるのですが、それをお話しする前に、彼女の経歴を紹介します。
1947年 福井県に生まれる。
1965年 高校卒業後、地元の信用金庫に就職する。
1971年 結婚して、ご主人と一緒に事業を始める。
そしてホテル事業が大成功して現在に至る。
これだけ見ると、ただの玉の輿の、派手好きで、嫌味なお婆さん、という印象を持ってしまいますね。
ところが実際はかなり違っているようです。まず出身高校。これが凄い!
彼女が卒業したのは、福井県立藤島高校という超名門校です。
地元の天才・秀才が集まる高校で、偏差値は70を超えています。ただの進学校というだけでなく、卒業生も豪華な面々が揃っています。
まず、第31代総理大臣の岡田啓介。彼は2・26事件発生時の首相です。次に南部陽一郎博士。彼は2008年にノーベル物理学賞を受賞しています。
総理大臣とノーベル賞受賞者の両方を輩出した高校は、全国でも数えるほどです。さらに熊谷組の創始者・熊谷太三郎、
昭和の名優・宇野重吉もこの学校の出身です。政治の分野、研究の分野、経済の分野、芸術の分野と、いずれもトップを輩出した、極めてまれな学校です。
なお、歌手で俳優の寺尾聡さんは、宇野重吉の息子さんです。
そのほかにも、政界・財界・芸術界・文学界・スポーツ界など様々な分野の著名人たちが、卒業生に名を連ねています。
そんな超名門校を卒業した彼女が、大学へ行かずに、なぜ地元の信用金庫に就職したのか? ただの落ちこぼれだったのでしょうか?
実際は家庭の事情だったようです。経済的な問題ですね。
彼女自身はとても勉強好きで、50歳を過ぎてから法政大学を卒業、さらに早稲田大学の修士号も取得していますので、地頭はかなり良いし、努力家なのでしょう。
また、ご主人が会長というポジションですので、玉の輿のイメージがありますが、実際にはホテル事業を立ち上げて成功させた立役者だったようです。営業部門のリーダーとして辣腕を振るい、実力で社長に上り詰めた人物だったのです。
さて、元谷芙美子さんと、卑弥呼との偶然は、単に出身地が越前・福井県である事に留まりません。
それは、彼女が生まれ育った場所です。
卑弥呼の墓は、この写真の福井県福井市にある丸山古墳だと、私は推定しました。彼女は、このすぐ近くで生まれ育っていたのです。
実際の住所は分かりませんが、出身中学の情報はつかんでいます。福井市立進明中学校です。この中学校の学区の中に、なんと卑弥呼の墓も含まれていたのです。
この地図は、卑弥呼の墓・丸山古墳の周辺です。元谷さんの通っていた進明中学校は、この古墳から直線距離で一キロ。つまり卑弥呼の墓のテリトリーの中に存在している中学校です。この地図のどこかに彼女のご実家があるという事です。
私が卑弥呼をイメージした人物が、そして卑弥呼の墓と推定した場所で、まさにそこで生まれ育っていたとは・・・!。
ニッポン広しと言えども、こんな偶然があるとは・・・!。思わず鳥肌が立ってしまいました。彼女は、間違いなく卑弥呼の生まれ変わり、あるいは卑弥呼本人でしょう。
ノーベル賞学者の南部陽一郎博士も、この古墳のすぐ近くにお住まいだったそうです。さらに、個性派俳優の津田寛治さん、本屋大賞受賞作家の宮下奈都さん、著名な指揮者、作曲家、金属工芸作家、などなども、ご近所だそうです。
そもそも人口密度の低い田舎町ですので、この有名人の輩出数の多さは異常です。
卑弥呼の墓は、いわゆる「パワースポット」を作り出しているのかも知れませんね。
私は現在、卑弥呼の墓の発掘プロジェクトを進めていますが、どうやら、お墓の中から呼んでいるようです。
卑弥呼曰く、「早く見つけて~」