八俣遠呂智へようこそ。
今回お送りするのは、女王・卑弥呼は誰だったのか、についてです。
古事記や日本書紀など、日本の古文書には一切登場しない人物ですが、神話の中にそれと思しき人物は幾つも描かれています。
今回は、卑弥呼のモデルとなっている人物を何人かピックアップしてみました。
所詮は神話の人物なのですが、そこからなにがしかのヒントが隠されているかも知れません。
邪馬台国の卑弥呼は、一体なにものだったのか? 彼女のモデルとなった人物を、古事記や日本書紀に登場する人物の中から推定して行きます。
そこでまず、魏志倭人伝に描かれている卑弥呼の人物像を、改めて整理してみます。
西暦200年代の倭国・日本は、国内が乱れ、争いばかりの時代でした。そんな状況下で、一人の女性が立ち上がり、王となりました。それが卑弥呼です。
卑弥呼には夫がいませんでしたが、弟がいて、彼女を助けることで、倭国の国々を平和に治めていました。卑弥呼には身の回りの世話をする1000人もの侍女と、卑弥呼の言葉を伝える一人の男子がいました。王位に就いてからは彼女に謁見したものはほとんどおらず、住居には柵が設けられ、その周りには武器を持った守衛が常駐。また卑弥呼が亡くなったときには巨大な墓を作り、100人もの奴婢が一緒に埋められたといいます。そして彼女の死後、男性の王が即位しましたが、国内は再び戦乱の世。そこで壹輿と言う13歳の女性を王にしたところ、国には再び平和が訪れました。
魏志倭人伝には、卑弥呼についてこのように書かれていましたが、さらに、不思議な力を持っている様子も描写されていました。そこには「鬼道を使って民衆を惑わす」とあります。
果たして卑弥呼が使った鬼道とは一体何だったのか。
実は三国志の中には他にも鬼道についての記述があり、五斗米道のことではないかという話があります。五斗米道とは入信する際に五斗の米を納めさせることからこの名で呼ばれ、張陵を開祖とする道教の一派です。ここでは治療の術を使っていたとされるのですが、魏志張魯伝に病気を治したり、逆に病気をもたらしたりといったことが記述されています。
ただし魏志倭人伝には、卑弥呼の鬼道が何であったのかは一切記述がありません。
五斗米道と同じ、病を治したり、もたらしたりする術だったのか、それとも日本独自の別の術であったのか、これについても様々な説が取り上げられ、ただ単に中国の儒教的価値観に合わない政治体制を指すというものや、神道のことを指しているといったもの、などがあります。
これらはすべて推測に過ぎませんが、卑弥呼が何らかの術や呪いというものを行っていたのは確かだろうという考えが強いとされています。
こうした様々な謎を持つ卑弥呼ですが、そもそも卑弥呼という人物は実在していたのでしょうか。
古代の日本の様子を現在に伝える2つの書、古事記と日本書紀には、卑弥呼はもちろん、邪馬台国についての記述は一切ありません。
この時代の倭国・日本については、中国のいくつかの文献にごくわずかにあるのみです。
古代史研究家の中には記紀神話の中において、卑弥呼や邪馬台国についての記述を意図的に隠していると唱える人もいます。
彼らの中には記紀神話に登場する神や場所が、卑弥呼や邪馬台国に該当するものがあると考える者もいました。
例えば卑弥呼は天照大神、神功皇后。その他にも、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)、倭姫命(やまとひめのみこと)、甕依姫(ミカヨリヒメ)、と言った具合です。
これらの卑弥呼の候補者は、すべて天皇家の祖先とされる神話の人物たちです。日本書紀という書物自体が、天皇家を正当化する為に書かれたものですので、当然と言えば当然です。
残念な事に、古事記や日本書紀以前の歴史書は、乙巳の変、壬申の乱などの飛鳥時代の動乱によって焼失してしまいました。
日本書紀は、その時代に権力中枢に上り詰めた藤原氏一族の息の掛かった書物であり、邪馬台国や卑弥呼の歴史を消したかった藤原氏一族の思惑に従った書物である事を前提に考えなければなりません。
しかしながら、日本書紀以前にあった歴史書や、中国史書を参考にしながら編纂された形跡がある事から、古代史のアウトライン程度は見えて来るのではないでしょうか?
卑弥呼の存在を日本書紀から見出すのは、かなりの困難さがありますが、僅かな手掛かりから推測して行く事にします。
では、卑弥呼をモデルとしたとされる人物を、3人に絞って考察してみます。
なお、古事記と日本書紀とでは、諱や時代に若干のズレがありますので、ここでは日本書紀に記されている内容に従って進めて行きます。
有力候補の3人は、天照大御神、倭迹迹日百襲姫命、神功皇后、です。
日本書紀に記されている年代に素直に従うと、天照大御神は、紀元前8世紀、倭迹迹日百襲姫命は紀元前1世紀、神功皇后は紀元後3世紀となります。三人とも記紀に登場するだけの、いわば神話の人物ですが、その神話が邪馬台国や卑弥呼の逸話から来ているのではないか?という推測がなされているのです。
ではそれぞれの候補者の概要です。
天照大御神は、言わずと知れた日本神話の最もメインとなる神様です。高天原を統べる主宰神で、皇祖神とされています。また、太陽神の性格と巫女の性格を併せ持つ存在として描かれていますので、卑弥呼がモデルだったのではないか? と推測する研究者が多いのです。邪馬台国九州説と一緒に支持される場合が多いようです。
倭迹迹日百襲姫命は、第7代孝霊天皇の皇女で、三輪山の神である大物主の神との神婚譚(こんいんたん)があって、巫女のような性格を持つ女性です。この事から彼女もまた、卑弥呼がモデルだったのではないか? と推測されています。特に、奈良県桜井市の箸墓古墳伝承でも知られていますので、邪馬台国畿内説と一緒に支持されているようです。
神功皇后は、第14代天皇・仲哀天皇の皇后で、熊襲征伐や三韓征伐で有名です。天皇家の長い歴史の中で摂政として、一番最初にトップに上り詰めた人物です。時代的にも邪馬台国があった三世紀ですし、卑弥呼と同じ・女王というポジションの一致も見られます。邪馬台国論争の先駆者・新井白石以来、多くの研究者によって支持されてきた人物です。なお、九州説・畿内説を問わず、幅広く支持されているものの、神功皇后が都としたのは、北陸地方の越前です。
今回は、卑弥呼のモデルの概要を示しました。もちろん、卑弥呼は天皇家の祖先だったと断言できる訳ではありません。古事記・日本書紀という天皇家を正当化した歴史書が最も古い以上これを無視しては語れない、という現状があるのです。次回以降に、今回挙げた三人の人物のそれぞれについて、さらに掘り下げて考察して行きます。この中には、偽書と定義された書物との相関関係がある人物も存在します。