卑弥呼に関する誤解

 八俣遠呂智へようこそ。

今回お送りするのは、日本古代史最大のミステリー・卑弥呼についてです。

日本最古の女王として有名な卑弥呼ですが、誰でも知っているその名前とは裏腹に、人物像や実在というものは分かっていません。

魏志倭人伝という中国史書の中にだけ登場する人物ですので、様々な曲解がなされ、いつしか勝手なイメージだけが独り歩きしているようにも思えます。

 今回は、そんな卑弥呼とはどんな人物だったのか、冷静に魏志倭人伝を読み解いて行きます。

 卑弥呼は、中国の正史・三国志の中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条、一般に魏志倭人伝と呼ばれる書物の中に描かれています。この内容は、西暦三世紀頃の日本列島にいた住民である倭人の習俗や地理などについて書かれているものです。

 その中には、女王の都として「邪馬台国」も登場し、女王として「卑弥呼」も登場します。

魏志倭人伝は、あくまでも倭国や倭人に関するものですので、邪馬台国に関する記述、卑弥呼に関する記述とも、決して多くはありません。ほんの僅かな情報量の中から推測された為に、様々な曲解が生じているのが現状です。

 今回は、卑弥呼に関する曲解・誤解を明示して、間違った先入観から解き放つ事を目的とします。

 では、魏志倭人伝の記述に従って、曲解なしに卑弥呼の姿を描いて行きます。

卑弥呼が出現する前の倭国では、元々、男の王が立っていたけれども、7、80年ほどは国が乱れ、攻撃しあっていました。

 そこで、一人の女性が王として立ちました。名前を卑弥呼と言います。すると、鬼道の祀りを行って人々を上手に惑わせました。

 非常に高齢で、夫はいませんでした。しかし、弟がいて国を治めるのを助けていました。王となってから、まみえた者はわずかしかいませんでした。

 侍女千人を用いて、主体的に働いていました。

 ただ一人の男性がいて、飲食物を運んだり言葉を伝えたりするため、女王の住んでいる所に出入りしていました。

 卑弥呼に関する具体的な記述は、これだけです。

たったこれだけの内容しか書かれていない為に、歴史作家や古代史研究家などによって脚色され、様々な曲解がなされ、大きな誤解が生じているのです。

 では、いくつかの誤解を挙げて行きます。

・卑弥呼は各国の話し合いによって連合国の王となった

・卑弥呼は王様ではない、巫女である

・卑弥呼は男性である

・卑弥呼は生涯独身である

・卑弥呼には子供がいない

これらはいずれも魏志倭人伝には書かれていません。歴史作家が自分勝手に魏志倭人伝を曲解して推測した内容が、事実として一般に広がってしまったものです。

 まず一番目の、卑弥呼は「各国の話し合いによって連合国の王となった」と一般的に考えられていますが、正しくありません。魏志倭人伝の全体的な記述内容から、倭国の中では「女王国」という多くの国々を含んだ連合国家をイメージさせる記述があった為に、このような解釈になったようです。

 実際の魏志倭人伝では、卑弥呼が王になったいきさつを、多くの研究家たちは次のように訳しています。

 「乃共立一女子為王」(このように一人の女子を王として共に立てる)

この中の「共立」という熟語から「各国の話し合い」という発想が古代史研究家に芽生えて、それが一般化したのです。おそらく江戸時代の先駆者・新井白石や本居宣長の時代には、すでにこのような解釈がなされていたのでしょう。しかしこれは誤りです。

 正しくは、「この様な状況の中で、一人の女子が立ち、王となった」と訳するのが正しいのです。つまり「乃共・立一女子為王」共と立との間に文章の区切りがあるという事です。

 そもそも中国語には二字熟語が少ないですし、「共立」という熟語はありません。また、現在使われている二字熟語の多くは、明治時代に日本が作った熟語が中国へ逆輸入されたものです。1800年前の中国で現代の日本と同じ「共立」という二字熟語が使われていたとは考えられません。

 「卑弥呼は王様ではなく巫女である」という誤解があります。これは必ずしも間違いではありません。正しくは、正しくは、王様であり巫女でもあった、ということです。

魏志倭人伝には、

「事鬼道能惑衆」鬼道の祀りを行い人々をうまく惑わせた。

とある事から、何らかの祭祀を行っていたのは間違いなさそうですが、単なる巫女さんではありません。王様は王様です。それは、中国・魏へ使者を送った際に、魏の皇帝からの返答の中に、「親魏倭王卑弥呼」と明示しているからです。卑弥呼が国のトップとして使者を送っていた事がよく分かります。また、「倭王」という言葉に限らず、「女王」という言葉も何度も書かれているのに対して、巫女を意味する「鬼道」はたったの一回しか書かれていないのです。

 「卑弥呼は男性である」などというトンマな古代史研究家もいて、それに惑わされた一部の人達の間で広がった誤解です。

 魏志倭人伝には、至る所に卑弥呼が女性である事の記述があります。まず、先ほどの卑弥呼が王になった記述では、

「乃共・立一女子為王・名日卑弥呼」このような状況で一人の女子が立ち王となった。名を卑弥呼という。

 また、ライバルである狗奴国との関係では、

「倭女王卑弥呼與狗奴國男王卑弥弓呼素不和」倭の女王・卑弥呼は狗奴国王・卑弥弓呼素と和せず。

とありますので、卑弥呼は明らかに女性です。

 「卑弥呼は生涯独身であり、卑弥呼には子供がいない」という曲解もよく耳にしますね。

魏志倭人伝では、

「年已長大 無夫婿」非常に高齢で、夫はいない、とだけ記されています。「生涯」独身だとは言っていないし、子供がいないとも言っていません。高齢の女性ならば、夫に先立たれた人はいくらでもいるでしょうし、子供は成人して親元を離れるものですので、この記述だけで卑弥呼の家族を勝手に解釈してはいけません。

 例えば、卑弥呼をモデルとしたとされる日本古代史の女傑・神功皇后の場合、夫である仲哀天皇は若い時期に先立っていますので、彼女が年老いた時期であれば「独身」という事になります。また、息子は十分に成人して応神天皇になっていますので、外見上は子供がいないと思われるでしょう。ですので、この例をとってみても、卑弥呼と神功皇后を重ね合わせても、何ら矛盾するものではないのです。

 これらのように、魏志倭人伝に記されている卑弥呼の姿は、歴史作家や古代史研究家たちによって、大いに曲解され、誤解され、いつしかそれが当然のように語られるようになってしまいました。邪馬台国論争を考える上では、先人の知恵は役に立たないどころか、おかしな先入観が入り込んでしまいますので、かえって害悪です。まずは、歴史家の目を通した「卑弥呼論」ではなくて、自らの目を通して魏志倭人伝の原文を読む事をお勧めします。