王朝交代の大本命 継体天皇

 実在の可能性がある最も古い天皇、そして王朝交代の大本命は第二十六代・継体天皇です。時代が六世紀という後の時代になりますので、神武天皇のような神話とは異なり、文献史学と考古学の整合性が取れる資料も豊富に存在します。

 そして何より、越前という近畿地方以外の場所から即位した唯一の天皇であることも、想像力を掻き立てられる存在です。なお、継体天皇を初代天皇としても、今上天皇までの1500年も継続している王朝は、世界最古、世界最長となります。今回は、文献史学の視点から考察します。

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継体天皇

 継体天皇は、日本書紀の上では第二十六代天皇、諱を男大迹王(をおどのおおきみ)といいます。実在したとすれば5世紀~六世紀で、82歳で崩御されています。なお古事記では、43歳での崩御です。

 継体天皇が眠る陵墓は、大阪府茨木市の太田茶臼山古墳(おおたちゃうすやまこふん)と、宮内庁では指定しています。これは大した根拠がなく、実際にはそこから1.2キロ離れた大阪府高槻市の今城塚古墳の方が有力視されています。

 最古の天皇であるとの根拠は、文献史学、考古学とも多数ありますので、まず確実でしょう。

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傍系天皇

 この天皇の系譜は、ほかの天皇とは明らかに異なっています。一つには、第十五代・応神天皇の五世孫だという点です。家系図で示すと、次の通りです。応神天皇の五世孫が継体天皇。これだけ見れば何の問題も無さそうですが、その間に、仁徳、履中、反正、允恭、安康、雄略、清寧、顕宗、仁賢、武烈、という直系血族の天皇が存在しています。継体天皇は傍系血族なのです。現代で例えれば、明治天皇の玄孫の竹田恒泰氏のお子様が、次の天皇に即位するのと同じ事です。

武烈天皇の後継者が断絶した為に、越前の国の大王・男大迹王に白羽の矢が当たった、とされています。そして、大伴金村らが越前へ出向いて招聘した事になっています。

 もちろん日本書紀に王朝交代があったとは記されていません。日本書紀は、万世一系を大前提に天皇家の正統性を誇示する事が目的の書物ですので。

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謎の大王

 継体天皇は越前の地から、58歳という高齢で即位した事になっています。そして都は、奈良盆地ではなく淀川水系の樟葉野宮、現在の大阪府枚方市です。その後、同じく淀川水系の筒城宮(つつきのみや)、弟国宮(おとくにのみや)と遷都した後に、奈良盆地南部の磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや)へ遷都した事になっています。その間、実に19年。

 近畿地方に古くからあった勢力を徹底的に弾圧し、完全に征服するのに時間が掛かった様子が窺い知れますが、そんな事は日本書紀には書かれていません。淡々と遷都を繰り返していた状況だけを伝えています。

  また、崇神天皇や雄略天皇などの華々しい実績が記されている天皇と比べて、どちらかと言えば淡泊で、ショボい天皇という扱いです。その事がかえって王朝交代説を盛り上げたようです。奈良時代のヤマト王権にとっては、継体天皇の事をあまり書きたくなかった、本当は隠したかった、という裏事情があった訳です。

 この辺の考察は、以前の動画にて行っていますので、ご参照下さい。

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男大

 継体天皇の実在性を示す文献は、日本書紀や古事記だけではありません。様々な歴史書に登場しています。その最たるものが「上宮記」です。上宮記は、日本書紀よりも100年以上前に編纂された歴史書で、現存はしていませんが、その逸文が『釈日本紀』などに残っています。内容は、継体天皇から聖徳太子までの歴史が記されています。

 ここで大事なのは、上宮記は藤原氏と敵対していた蘇我氏の時代の歴史書だという事です。日本書紀という藤原氏一族に都合の良い正史だけではなく、反目する蘇我氏一族の正史にも登場していたという事は、継体天皇の実在性は、ほぼ確実だと言えるでしょう。

 上宮記は、乙巳の変での焼失を奇跡的に免れたので、藤原氏としてもこの内容を無視して日本書紀を編纂する訳には行かなかったのでしょう。

 なお上宮記の中での継体天皇は、乎富等大公王(をほどのおおきみ)と記されていますので、日本書紀に記されている

男大迹王(をおどのおおきみ)と同一人物で間違いないでしょう。

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筑後国風土記

 さらには筑後国風土記にも、継体天皇は登場します。雄大迹天皇(をほどのすめらみこと)という日本書紀と同じ諱です。

 継体天皇の在位中に、磐井の乱という古代史最大の戦いが、筑後の国・八女地域で勃発しました。それを打ち破ったヤマト王権でしたが、それと反目する勢力、すなわち磐井勢力側の視点からの内容が、筑後国風土記には書かれているのです。そしてその根拠となる考古学的な資料も残っています。

 また、この時期には、文明から取り残されていた瀬戸内海地域に屯倉が置かれるようになりました。瀬戸内海航路の開拓です。これらの詳細も以前の動画で考察していますのでご参照下さい。

 私は文献史学は軽んじています。正史というのは権力者の歴史だからです。しかし、継体天皇の存在が確認できる文献は、日本書紀、上宮記、筑後国風土記という三方向の視点からの書物です。

 実在した最も古い天皇である事は確実でしょう。そして文明の進んでいた日本海側の強大な勢力が、後進地域だった近畿地方を征服したという王朝交代説も現実的だと思います。

 次回は、考古学的な資料を基に継体天皇の実在性を示します。