日本書紀に書かれている天皇の系譜を、歴史的事実と主張する人々がいます。皇国史観の思想は良いのですが、現代の考古学などの成果を否定するのは、よろしくありません。科学的な研究成果は尊重すべきです。
万世一系は、天動説を唱えているキリスト教徒と、同じレベルです。
今回は、万世一系を考察する前提として、日本書紀の天皇記から、初期の天皇の年齢を示して行きます。
天皇の年齢は日本書紀を基準にします。よく知られているように日本書紀は、奈良時代に成立した歴史書で、日本に伝存する最古の正史です。正史とは、よく誤解があるのですが、正しい歴史という意味ではなく、正統な歴史、つまりその当時の権力者にとっての都合の良い歴史書という事です。
日本最古の正史といっても、奈良時代まで正史が無かった訳ではありません。「天皇記」や「国記」という書物があったとされています。ところが、これらの歴史書を含めて、多くの書物が飛鳥時代に焼失しています。
中学校の歴史の授業で習う、乙巳の変や壬申の乱で燃やされてしまったのです。この事件は、蘇我氏一族を滅亡へと追いやった事件として有名ですが、その時にほとんどの書物が焼失しています。のちの書物には、「乙巳の変に憤慨した蘇我蝦夷が自らの邸宅に火をかけ自害し、この時に朝廷の歴史書を保管していた書庫までもが炎上」とされています。つまり蘇我氏が自分で燃やした事になっていますが、怪しいものです。
新しい権力者にとって古い歴史書は、都合の悪いものです。邪魔者以外の何物でもないからです。
おそらく中臣氏・のちの藤原氏一族の陰謀によって、古い歴史書が燃やされたと見るべきでしょう。
こういう経緯から編纂された新しい歴史書が、日本書紀です。時の権力者・藤原氏一族にとっての都合の良い歴史書・正史です。
日本書紀は、全30巻からなっています。
そのうち、最初の二巻は神代の昔の神話です。天地のはじめ及び神々の化成した話。そして、天孫降臨などの話から、初代・神武天皇が誕生するまでの神話が綴られています。
残りの二十八巻は、天皇記です。神武東征の物語から、第41代持統天皇の話までが綴られています。
日本書紀を歴史的事実の書物だと主張する人々は、さすがに神代の昔の神話までもが実際に起こったとはしていません。第三巻から後の天皇記を全て真実だとして、万世一系を唱えているのです。
では、今回の本題です。天皇の年齢です。初代・神武天皇から、一般に実在が確実視される第二十六代・継体天皇までを示します。この中で、12人もの天皇が100歳を超える長寿であらせられました。
初代・神武天皇をはじめ、
孝昭(コウショウ)、孝安(コウアン)、孝霊(コウレイ)、孝元(コウゲン)、開化(カイカ)、崇神(スジン)、垂仁(スイニン)、景行(ケイコウ)、成務(セイム)、応神(オウジン)、仁徳(ニントク)、です。
初期の頃の天皇はご長寿だったのですね。
最長寿は、景行天皇と仁徳天皇の143歳です。素晴らしいです。古代の日本は、現代では想像も付かないくらい、環境が良かったのでしょう。
ところが、万世一系を支持している人たちは、これを歴史的事実として古代日本を称賛すればいいのですが、どういうわけか、あっさりと否定しています。
「これでは長生きし過ぎだ。科学的に矛盾している。」
という論調です。単に長寿だった事を証明すれば良いだけなのですが・・・。
いやはや、この時点で日本書紀が歴史的事実ではない事を、自ら認めてしまっています。
その他の矛盾点ではいつも情緒的で科学を無視しているのに、こういう時だけ「科学的」と主張します。つまり自己矛盾に気が付いていないのです。
天皇の年齢については実際、現代の平均寿命と比べて異常に長いので、様々な言い訳がなされています。なんとか万世一系を正当化したいという、涙ぐましい曲解です。曲解は、文献史学者の得意技ですね。
いかなる曲解がなされたとしても、考古学の成果を見れば、初期の頃の天皇の物語は神話でしかありません。
では、どの天皇からが歴史的真実なのでしょうか? これはまた別の機会に考察します。
日本最古の正史とはいえ、八世紀の書物です。世界から見れば、かなり新しい歴史書です。
日本書紀の第一巻と第二巻に記されている神話はもちろん、天皇記に記されている物語には、世界中の様々な物語が引用されています。中国史書をはじめ、東南アジアの物語、そしてユダヤ教の物語などです。歴史的事実は、せいぜい六世紀ころの天皇からでしょう。
だからと言って、日本書紀を完全否定するつもりは毛頭ありません。
神話の中にも、その根拠となった事件や事実があったでしょうし、当時の日本のレベルでは説得力のある文章が書けなかったのも事実でしょうから。
要は、天皇家を神格化するのが目的の書物ですので、人々を納得させる為に世界中の物語を引用したのは当たり前のように思えます。
また、「漢文体」で記述されているのも、格式を上げる為だったのでしょう。当時の中国語は、現代で言えば英語のようなものです。国際標準の言語でした。漢文体で書くことによって、いかにも立派な書物のように思わせる魂胆が、見て取れます。
現代でも、チンケな研究論文でも英語で書かれていると、いかにも立派な論文に見えてきます。
同じことです。
日本書紀が古代から明治時代までに果たしてきた役割は甚大です。これを否定すべきではありません。
ただし、科学的な根拠に基づいて、真実は真実、神話は神話、ファンタジーはファンタジーと区別すべきでしょう。
なお、神話の天皇の年齢をそのまま信用すれば、初代・神武天皇は2600年前の人物という事になります。水田稲作が伝来したばかり、瀬戸内海航路も拓けていない時代です。万世一系論者は、「科学的に」それらを立証する義務があります。