魏志倭人伝は、1800年前に書かれたものです。当然ながら、不自然な点が多々あります。不自然さは、議論百出しており、まとまりがつきません。そこで、私なりにまとめた知識を、Q&A形式にしてみました。
Q: 古代日本についてだけ書かれたの?
A: 「三国志」という巨大な歴史書の、ほんの一部分です。魏・呉・蜀の歴史が中心で、その中の「魏志」
の、ほんの一部分の「東夷伝」(東の野蛮な国々の記述)の中の、倭人の記述です。「東夷伝」の中
では最も多くの記述がされていますが、それでもたったの二千文字程度です。(全体の0.5%)
Q: いつの時代に書かれたの?
A: 西暦280年頃に書かれたとされています。中国の三国志時代が終わった頃です。
Q: 誰が書いたの?
A: 陳寿(蜀の出身で、魏の文官となった人物)が著したとされています。
Q: 誰が邪馬台国へ行ってきたの?
A: 魏の支配下にあった帯方郡(韓国ソウル市)の視察員だったという説があります。しかし、確証はあり
ません。可能性として、
1.帯方郡の視察員
2.魏の本国の視察員
3.漂流して邪馬台国に流れ着いた魏の軍団
中国は古来より朝貢外交をしており、皇帝に対して貢物を献上し、皇帝側は恩恵として返礼品をもたせ
て帰国させていました。邪馬台国のような辺境の地に、わざわざ視察員が訪ねて行ったとは思えませ
ん。たまたま漂着したとすれば・・・。例えば、
三国志時代の208年に、揚子江で『赤壁の戦い』がありました。敗れた魏の軍団の一部が黄海に
逃れ、対馬海流に流されて、邪馬台国に漂着したと推察すれば、時代的にも筋が通ります。
Q: 紙に書かれたの?
A: 分かりません。当時の中国では紙の生産は始まっていましたが、まだまだ質が悪かったようです。竹簡
や木簡に書かれていたのかもしれません。
Q: どんな文字だったの?
A: 読みづらい草書体の漢字だと思われます。
Q: どうやって現代まで受け継がれたの?
A: 写本です。紙に書かれたにしても、竹簡に書かれたにしても、最低でも二十年に一回は写本しなけれ
ば、書物が腐朽してしまいます。印刷技術が発達した現代でも、誤植はあります。古代においては、
Q: 現代に語られる魏志倭人伝はいつの時代?
A: 紙の品質と印刷技術が向上した10世紀以降と言われています。現在残っている魏志倭人伝の原文は
南宋の時代(1100年代)の刊行物だそうです。原本が書かれてから約900年後のことです。
写本を20年ごとに行ったとして、約45回の写本が行われたことになります。誤植は膨大でしょう
ね。
Q: 原本から900年後ということは?
A1: 現在の日本で当てはめると、ちょうど平安時代の源氏物語が著された頃となります。ということは・・
古文の知識のない普通の日本人が、源氏物語の原文をスラスラ読めますか?表現や単語・熟語が全く
違うし、文法も多少違っています。魏志倭人伝は、その倍の1800年を経過しています。こんな物を
一字一句解読するのはナンセンスでしょう。(「邪馬台国は無かった」説を唱える人たちの論拠です)
私は、”火の無いところに煙は立たず” の立場で、参考程度に魏志倭人伝を読んでいます。
A2: 900年の間に、遷都が数回されています。
中原(洛陽・長安) → 北京 → 上海近郊
ヨーロッパで例えるなら、イタリア語 → フランス語 → ドイツ語 と使用言語が変わったのと
同じ事です。ただし、アルファベットという表音文字のヨーロッパに対して、中国は漢字という表意
文字です。言語は違えど、文法の違いは包含されてしまうので、あまり問題なかったかも知れません。
Q: 言語は何語だったの?
A: 古代中国語です。現在の中国標準語(北京語)ではありません。発音も文法も違います。古代中国語
は、黄河中流域の中原(洛陽、長安など)で使われていた当時の標準語です。遣隋使や遣唐使が日本に
持ち帰った「音読み」の多くは古代中国語の発音を基にしています。
なお、現在の洛陽や長安(西安)では、この言語は使われていません。ヨーロッパ以上に他民族・
多言語の国家である中国は、戦いも多く、民族移動が激しかったようです。
Q: 古代中国語をどうやって読み解くの?
A: 古代中国語の末裔は「客家語」と言われています。客家語の発音と文法を知れば、ある程度の読みが
Q: 客家人に出会えるの?
A: 現在では少数民族扱いで、中原を追われた後、揚子江以南に散らばっています。また、世界中に散らば
った華僑は、この客家人だと言われています。
ヨーロッパのある民族によく似ていますね。そう、ユダヤ人です。客家人は「アジアのユダヤ人」とも
呼ばれるそうです。魏志倭人伝を正しく読み解きたいなら、横浜中華街の華僑の客家語を話せる友人を
作ることです。
Q: 発音は正しいの?
A: 微妙ですが、大体OKとしておきます。客家語が古代中国語の末裔といっても、1800年前の客家語
の発音と、現在の客家語の発音が同じとは限りません。また、中国各地に散らばった客家人、華僑とな
って世界中に散らばった客家人、かなりの方言があります。どの発音が正しい客家語かは、未知の世界
です。なぜなら、標準語として体系化されていないからです。
日本で例えるなら、”津軽弁と薩摩弁のどちらが正しい日本語か?" と考えるようなものです。
遣隋使・遣唐使の時代に入ってきた「音読み」でOKとしておきましょう。
邪馬台 → ヤマタイ → やまと(越前ヤマト勢力→近畿に侵攻しヤマト朝廷)?
投馬 → トウマ → たじま(兵庫県但馬地方)? たんば(京都府丹波地方)?
不弥 → フミ → うみ(福岡県糟屋郡宇瀰) ?
奴 → ナ → な(筑前の国、那の津) ?
伊都 → イト → いとしま(福岡県糸島市) ?
末盧 → マツロウ → まつうら(肥前の国、松浦郷) ?
一支 → イシ → いき(壱岐島) ?
對馬 → ツシマ → つしま(対馬) ?
主な地名は、大体当てはまる場所がありますね。ただし、一つ重要な国の名前が一致しません。
それは「狗奴国」、邪馬台国と対立していた大国です。
狗奴 → クナ → ????
客家人の友人に狗奴の発音を訊いたところ、「グォ~ニ~」と発音しました。「クナ」と大違いです。
日本の地名で、最初に濁音が付くところはほとんどありません。おそらく、邪馬台国の住人は、敵国の
狗奴国に対して、憎しみを込めて「グお~に~」(グ鬼)と発音したのではないでしょうか?
狗奴国 → グォ~ニ~国 → 鬼国(近畿地方)
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