越前の平野ができるまでを、単純な図面で示します。
1.現在の福井県の地図です。
2.6000年前頃は、縄文海進で海の底でした。
3.対馬海流の影響で、北側の海の出口に砂礫層が出来上がりました。
4.3000年前頃には、すでに淡水湖となっており、淡水が引き始めました。
5.2000年前頃には、80%程度の淡水が引き、水田稲作に適した平野が広がりました。これで、
大国出現の条件が満たされました。
6.1500年前頃には、ほとんど淡水が引き、現在とおなじような地形となりました。
近畿地方の「河内湖」や「奈良湖」よりも、一足早く水が引いたようです。卑弥呼一族が治水工事を行って、耕作地を広げた可能性が高いです。
なお、地質調査では、卑弥呼の時代にはほとんど淡水は引いていたとの事ですが、地元(福井県)の人たちは、継体天皇が治水工事を行って、耕地面積を増やしたと教育されているようです。しかし、増やした耕地は僅かだったようです。継体天皇は近畿に進攻した際も、京都南部の淡水湖の治水工事を行っていますので、越前で治水工事をしたのは、あながち嘘ではないでしょう。