農業生産が大きいこと
古代の大国出現の条件で、最も重要なのは、その時代の農業生産高です。
人間は食料が無いと生きて行けません。農業生産量が多い場所に人は集まり、巨大な古代国家が生まれます。エジプト文明しかり、メソポタミア文明しかり、インダス文明しかり、黄河文明しかり、古墳時代の大阪・奈良しかり、です。
日本の場合、農業は水田稲作が根付き、米のたくさん取れる場所に人々は集まりました。
Q:水田稲作に適した場所とは?
A:平坦で水はけの悪い土地です。
Q:生産量の多い場所とは?
A:広大で洪水の少ない場所です。
『大規模で安定生産できる水田稲作地帯』
丘陵地では、平らに整地しなければならない上に、棚田のように畦をたくさん作らなければなりません。これでは、手間が掛かって非効率です。
静岡県の登呂遺跡では、なだらかな丘陵地に畦を作って水稲栽培をした痕跡があります。しかし、洪水で畦があっさり壊され、耕作放棄地になったと見られます。(だからこそ、遺跡として残ったのです。)
佐賀県の吉野ヶ里遺跡しかりです。この遺跡も緩やかな丘陵地で、水田跡はほとんど発見されませんでした。
また、いくら平坦でも木々が乱雑に生い茂る雑木林ではどうしようもありません。鉄器が普及していない時代に雑木林を開墾するのは、至難の業です。
では、古墳時代に日本の中心となった近畿地方を考察してみましょう。弥生時代までは、左図のように、大阪・奈良・京都に巨大な淡水湖がありました。弥生時代末期頃から徐々に水が引き始め、湿地帯となり、平らで水はけの悪い、広大な水田稲作地帯へと変貌しました。雑木林となる前なので、開墾の必要もなく、天然の水田地帯となったのです。それにより、米の生産が飛躍的に伸び、爆発的に人口が増加し、日本の中心地となりました。
Q:弥生時代の大国はどうやって見つける?
A:古墳時代の近畿地方と同じように淡水湖を考えれば良いでしょう。
大規模で安定生産できる水田稲作地帯はどこか? 順を追って特定して行きます。