下賜品から分かる邪馬台国の場所

 邪馬台国チャンネルへようこそ。魏志倭人伝を読み進めて、40回目になります。

魏の皇帝から女王國の卑弥呼へのプレゼントは個性的です。豪華な織物類の他に、金、鉄、青銅、硫化水銀、四酸化三鉛といった鉱物の加工品も見られます。この中で青銅で作られた鏡100枚については、よく邪馬台国比定地論争に登場しまが、そのほかの鉱物からも、邪馬台国を比定できる要素が含まれています。

 今回はそのような見地から魏からの下賜品を考察します。

 前回からの続きになりますので、これまでに読み進めてきた魏志倭人伝の概要は割愛します。

魏の皇帝からのプレゼントの中では、倭国に対するものの他に、卑弥呼個人への品々も書かれていました。それは。

  又特賜汝 紺地句文錦三匹 細班華罽五張 白絹五十匹 金八兩 五尺刀二口

  銅鏡百枚 真珠鈆丹各五十斤 皆装封付難升米牛利

「また、特に、汝に紺地句文錦三匹、細班華罽五張、白絹五十匹、金八両、五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠鉛丹各五十斤を賜ふ。皆、装い、封じて難升米と牛利に付託する。」

 とあります。

 邪馬台国の場所を比定するには、これらの下賜品が出土する場所こそがそれである。と言えるでしょう。

風俗習慣に書かれている絹や翡翠や朱丹のような産物では、倭国全域の中のどこか? という話になりますので、邪馬台国の場所を特定できるものではありません。ところが、魏の皇帝から卑弥呼個人への下賜品となると話は別です。プレゼントは受け取る側が住んでいた場所、すなわち、邪馬台国の場所へ運ばれたと強く推定できるからです。

 これらの中で織物類については、1800年もの年月が流れていますので既に不朽して消滅しているでしょう。また金八両については、現代の重さの単位でたったの120グラムしかありませんので、これも邪馬台国を見つけ出す手掛かりにはならないでしょう。

 残るは、五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠鉛丹各五十斤です。

 まず、五尺刀二口。これは前回の動画でも紹介しました通り、長さ1メートル25センチくらいの、鉄の刀が2本です。日本列島における邪馬台国時代の遺跡からは、このような長い刀の出土はありません。出土するのは、ほとんどが30センチ以下の短いものです。

 そんな中で、女王國の主要国家では、しっかりと長い鉄の刀が見つかっています。邪馬台国・越前の原目山墳墓群や、投馬国・丹後の奈具岡遺跡、などです。北部九州では、伊都國があった平原遺跡からも、わずかに一本の長刀が見つかっています。

 これらが、魏の皇帝が卑弥呼にプレゼントしたものかどうかは分かりません。しかしながら、日本海側を支配していた女王國、その中でも特に重要な国家だった場所から長い刀が出土しているのは注目すべきでしょう。

 次に、銅鏡百枚です。銅鏡は、邪馬台国時代よりも後の四世紀に日本国内で生産されたものが多いので、注意が必要です。近畿地方で多く発見されている三角縁神獣鏡や、北部九州・伊都國で見つかった巨大な銅鏡などは、日本国内産である事が証明されています。

 魏の皇帝がプレゼントした銅鏡で最も可能性が高いのは、紀年銘鏡です。紀年銘鏡とは魏の年号が記されている銅鏡です。日本列島ではたったの八面しか見つかっていません。

 これらの出土地の分布はこのようになります。

八面中五面が、日本海地域から発見されています。

やはり女王國の支配地域と重なりますね?

 最後に、真珠鉛丹各五十斤です。

真珠は朱丹と呼ばれる硫化水銀、鉛丹は四酸化三鉛の事で、どちらも赤色顔料です。どちらも卑弥呼や取り巻きの女性たちの白粉として用いられたものです。

 また、朱丹は防腐剤の役割を果たしますので、権力者が亡くなった際に体に撒くという風習がありました。特に日本海沿岸各地の墳丘墓では、遺体の周りに大量の朱丹が撒かれています。この風習は、四世紀以降の古墳時代には近畿地方へも伝播しました。

 さて、そんな赤色顔料ですが、興味深い科学分析結果があります。邪馬台国よりも少し前の時代の墳丘墓から、中国産の朱丹が検出されているのです。

 検出された墳丘墓は、邪馬台国・越前の小羽山30号墳、出雲の西谷3号墳です。ともに四隅突出型墳丘墓と呼ばれる巨大墳丘墓で、二世紀頃のものです。これもやはり、女王國の支配地域ですね?

 成分分析の結果、どちらも同じ陝西省旬阻県産(せんせいしょうしゅんそけん)の朱丹である事が解明されました。

陝西省は、魏の都・洛陽から黄河を少し遡った地域で、後の都・長安がある場所です。そんな場所と、女王國とは二世紀には既に交流があり、朱丹が輸入されていたという事になります。

 これらのように、魏の皇帝から女王・卑弥呼にプレゼントされた品々からは、女王國の支配地域が明確に浮かび上がってきます。

邪馬台国比定地論争で人気のある九州説や畿内説とは、ほとんど一致しませんね?

 魏志倭人伝に記されている風俗習慣では、邪馬台国を特定したものはありません。一般に風俗習慣の記述から、絹を生産していただの、朱丹を採掘していただの、鉄鏃の出土が多いだの、そんな事からは邪馬台国を特定できる筈はありません。なぜならばそれらは、倭国の中のどこかで産出されるものであって、邪馬台国を特定した物品ではないからです。

 特定できるとすれば、魏からの下賜品が存在している場所です。

そんな中で、金印のように倭国に持ち込まれていないもの、繊維製品のように腐朽してしまうもの、などでは期待できません。

 今回のように、

五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠鉛丹各五十斤。

という記述と合致する場所こそが、女王國の支配地域なのではないでしょうか?

 いかがでしたか?

一般に出土品からの比定地論争では、銅鏡百枚ばかりが取り上げられますね? その理由は単純です。北部九州や畿内からの出土が多いからです。九州 VS 畿内、という構図を描きやすいからです。しかしそのほとんどは日本国内産である事が証明されていますので、哀れですね? 一方で、今回の長い鉄の刀や、赤色顔料が議論のテーブルに載ることはありません。この理由も単純です。北部九州や畿内からの出土が無いからです。都合の悪い事実からは目を背けているのです。

 

邪馬台国チャンネル

女性は、いつの時代もプレゼントが大好き

 今回の魏の皇帝からのプレゼントは、人間の、というか動物の普遍的な行動ですね? 倭国への下賜品とは別に、卑弥呼に対しての個人的なプレゼントが、豪華な織物類とか、小粒の純金、鏡が百枚、それと赤色の白粉ですから。あっ、赤色の白粉というのは矛盾していますね? でも当時は顔を赤色にお化粧していましたので、表現としては間違っていないと思います。

 そんな事はどうでもよくて、当たり前ですが、男性から女性へのプレゼントは、いつの時代も下心見え見えですね?

そして貰った女性も、大喜びして心を奪われてしまう。

 現代と1800年前の社会。人間の本質は何も変わらないですね?