邪馬台国チャンネルへようこそ。魏志倭人伝を読み進めて、34回目になります。
倭国の政治状況の記述に入っています。伊都國の重要性、卑弥呼の出現、などの記述から、女王國の周辺国についての記述へと進んできました。魏の使者たちは、そもそも邪馬台国までは行っていませんので、周辺諸国の話になると途端に支離滅裂になってしまいます。おそらく倭人たちから吹き込まれた情報を、そのまま記してしまったのでしょう。
まず、魏志倭人伝の全体像を示します。大きく3つの章に分けられており、
最初は、諸国連合国家である女王國について。
次に、倭人の風俗習慣について。
最後に女王國の政治状況について。
となっています。周辺諸国の話は、この章からです。
これまでに読み進めた内容を要約します。
邪馬台国までの行路では、このような道程が示されていました。その間にある20ヶ国の旁國を含めた30あまりの国々が連合して「女王國」が成り立っており、その中の一つ、女王の都が邪馬台国です。
行路の記述では、九州島の最初の上陸地点である末蘆国から、最終目的地の邪馬台国まではずっと、90度の誤りがあります。これは女王國が、海岸線の情報を魏の使者たちに知られまいとし、その作戦が功を奏したからです。
女王國に敵対していた狗奴国については、南に位置すると書かれていますので、90度ずれた東に位置する近畿地方を指しているようです。
また、帯方郡から女王國までの距離が12000里という記述も正確でした。
風俗習慣の記述では、魏の使者が見聞した様々な事柄が記されています。
北部九州の伊都国(現在の福岡県糸島市)に留め置かれていましたので、ほとんどが九州の風俗習慣です。倭人の身なり、絹織物の生産、鉄の鏃を使っている、などという描写です。
また、日本列島の気候風土とは全く合致しない記述もありました。それは、倭国はとても温暖で冬でも夏でも生野菜を食べている、みんな裸足だ、という記述で、それらは中国南部の海南島と同じだとされています。
方角を90度騙された魏の使者の報告書から、どうやら著者の陳寿が「倭国は南の島である」、という勝手な思い込みをしていたようですね? 海南島のイメージで倭人伝を書いてしまったようです。植物に関する記述でも、広葉樹のみが記されている事からも分かります。
さらに人々の生活については、父母兄弟は別な場所で寝起きする、赤色顔料を体に塗っている、食事は器から出掴みで食べている、人が亡くなった際のお墓の形式・お葬式の風習、食べ物には薬味を使っていない、猿やキジがいるのに食料にしていない、占いは骨卜、お酒を飲む習慣、一夫多妻制、規律正しい社会である事、などかなり詳細な部分にまで及んでいました。
倭国の政治状況の章に入ると、まず一大率という検察官を置いて諸国に睨みを利かせていた伊都國に関する詳細な記述から始まりました。そして遂に卑弥呼に関する話になり、女王になった経緯や人となりが記されていました。
ところが突然、女王國の周辺諸国の話になってしまい、今回の動画へと至っています。
前回の動画では女王國の周辺諸国について、、
女王国東渡海千餘里 復有國 皆倭種
「女王国の東、海を渡ること千余里で、また国有り。みな倭種なり。」
という記述から始まりました。これは女王國の東の端である能登半島から見て、北東方向にある佐渡島を含む新潟県エリアだと考えられます。
新潟県は、現代でこそ巨大な穀倉地帯ですが、弥生時代にはひどい僻地でした。その為女王國にとってはどうでもいいような存在で、それ故に諸国連合には含めなかったのでしょう。
さらにその先を読み進めると、
又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里
「また、侏儒国あり、その南に在り。人長は三、四尺。女王を去ること四千余里なり。」
日本列島内部に記述には、常に90度のズレがありますので、これを適用して読んで行くと。
「また、侏儒国が女王国の東にある。人の背丈は三、四尺(72cm~96cm)で、女王国を去ること四千余里。」
となります。
侏儒国という名前の女王國から四千里離れた東方向の国。それは、東海地方・関東地方、および東北地方の太平洋側といった広い地域が考えられます。古事記や日本書紀に記されている「蝦夷地」になりますね?
ここに住んでいた住人は、三尺・四尺(70センチ~90センチ)の背丈しかないとの事です。動物の肉も食べていた当時の日本人の体格は、現代人とほとんど変わらないとされていますので、この三尺・四尺という身長は異常に低いですね? 関東や東北地方の太平洋側に存在していた侏儒国は、倭人とは異なる小人の国でした。
コロボックルをご存じでしょうか?
アイヌのお伽話に出て来る小人の事です。アイヌ語で「ふきの葉の下の人」の意味で、雨が降ると1本のふきの葉の下に何人かが集ることができるほど小さかったといいます。
アイヌ人は12世紀頃に北海道に侵略してきた人種ですが、それ以前に住んでいたのがコロボックルでした。
伝説によれば、初めはアイヌ人たちと平和に交際していましたが、のちに争いを起して北方に去ってしまったとされています。北海道各地に残る竪穴式住居は彼らのもので、石器や土器を使用していた、とされています。
なんだか、魏志倭人伝に記されている小人の話も、コロボックルだとは思いませんか?
アイヌ人が住み付く以前には、コロボックルという倭人とは異なる人種が、北海道を始めとする北日本や東日本を支配していた。侏儒国はコロボックルの国である。彼らこそが、蝦夷地に住んでいた「蝦夷人」だった。なんていうファンタジーも描けますね?
さらにもっともっと、遥かに遠い国にまで話は及びます。
又有裸國黒齒國 復在其東南 船行一年可至
「また裸国、黒歯国あり。またその東南に在り。船行一年にして至るべし。」
これも、方角を90度修正して読むと。
「さらに裸国と黒歯国があり、女王国の北東にある。船で一年ほど行くと着くことができる。」
となります。
この辺になるとかなり支離滅裂ですね?
北東方向は、北海道から千島列島方面になります。しかも船で一年も掛かりますので、アリューシャン列島を経て、アメリカ大陸西海岸。さらには南アメリカ大陸まで行けてしまいそうですね? そんな場所に裸國と黒齒國があると言っています。
おそらく、魏の使者たちに対して、倭人の広報部のような人物が大風呂敷を広げて、倭国の世界観を語ったのではないでしょうか? 全く現実的ではありません。
ただし、ファンタジーとしては面白そうです。
ところで、先程のアイヌ人に追い出されたコロボックル達は、北の方向へ逃げたとされています。すると、やはりアリューシャン列島を渡り歩きながら、アメリカ大陸に辿り着いた事になるでしょう。
魏志倭人伝に記されている裸國や黒齒國というのは、実はコロボックルの国なのかも知れませんね?
よく知られているように、アメリカ大陸の原住民、いわゆるアメリカインディアンは、私たち日本人と同じモンゴロイドです。太古の昔から日本列島からアメリカ大陸へ民族移動が頻繁に起こっていたのは間違いありません。
コロボックルこそがインカ文明やアステカ文明を起こした民族であり、源流を辿れば日本列島に行き着きそうですね?
もう一つのファンタジーを語ります。
仮に、魏志倭人伝の方角をそのまま信用した場合、関東地方から太平洋に、南東方向へ船を漕ぎ出す事になります。
すると、南ならば小笠原諸島を経てグアム島のある南マリアナ諸島。あるいは東方向ならばハワイ諸島へと至る事になります。船で一年間も航海するのですから、それに限らず、太平洋全域をもカバーしてしまいそうです。
この地域の人々は、アウトリガーセーリングカヌーという原始的な帆船を使って、何万キロもの距離を自由自在に航海していた人々です。案外こちらの方が、的を得ているかも知れませんね? なにせ、私たちのご先祖様である縄文人は、そんな南の島からやって来た人々なのですから。
また、魏志倭人伝に記されている裸國という名称は、裸の国という意味ですので、南の島というイメージにもピッタリきますよね?
いかがでしたか?
今回は、ファンタジーの世界にドップリ漬かってしまいました。
この辺の話はかなりの誇張がなされおり、現実的ではありませんよね? しかしながら、もし古代の倭人の世界観が広大な太平洋地域にまで及んでいた場合、ちゃんとした根拠があった可能性もあります。北海道のコロボックルのお伽話や、縄文人の起源が南の島だという事を考えれば、魏志倭人伝の内容もまんざら嘘では無さそうな気もします。
次回からは、現実的な話に戻って、女王國が魏の国へ朝貢を行った記録へと入って行きます。
倭人の世界観は広域的
魏志倭人伝には、女王國の範囲とか、今回のように周辺諸国の位置関係が記されています。まあ、船で一年も行かないと辿り着けない裸國とか黒齒國の話になると、ファンタジーになってしまいますが。
それでも、日本列島全域、九州から北海道まで全て領域をカバーした記述になっている事がよく分かります。邪馬台国の時代は1800年前ですが、その頃にはすでに日本列島の全体像を把握していたのが良くわかります。弥生時代とは言っても、その前に一万年以上の縄文時代があった訳ですから、当時の倭人の世界観はかなり広域だったのは間違いありません。
それを考えると、やっぱり九州説は成り立ちません。北部九州の狭い地域だけで完結するような、そんな低次元のレベルではなかったでしょう。
そもそも魏の都・洛陽から北部九州までが3000キロも離れているのに、女王國の範囲が100キロ程度で収まってしまうというのは、直感的に「おかしい」と思いますよね? いくらなんでも、そんな狭い地域では有り得ないでしょう。女王國は、もっともっと広域的だったと見るべきです。
今回の周辺諸国の記述を考察して、改めてそんな風に感じました。