古代に鉄は必要だったのか? 鉄の世界史を辿ってみた。

 こんにちは、八俣遠呂智です。

今回から数回に分けて、鉄の重要性を考察して行きます。

 古代に比べて、現代社会は信じられない程の進化を遂げました。これだけ進化した理由は様々ですが、素材という点では、「鉄」が最も重要な物質である事に異論を挟む余地は無いでしょう。安価で加工しやすく入手も容易な金属ですので、現代社会を形作った骨格とも言える物質です。特に産業革命以後は産業の中核をなし、「産業の米」とか「鉄は国家なり」などと呼ばれるほど、鉄の生産量は国力の指標ともなりました。では、邪馬台国をはじめとする古代社会では、どうだったのでしょうか?

 日本列島に水田稲作文化が伝来して、初めて国家と言える存在が誕生した弥生時代。文献史学では魏志倭人伝に記されている邪馬台国が最初です。この邪馬台国を語る際には、必ずと言っていいほど「鉄器」の存在が議論されます。

それは、現代に於ける鉄の重要性をそのまま古代にも当てはめて考えているからです。

例えば、古代に鉄剣や鉄の鏃などの鉄製の武器を持っている国は、青銅器の武器しか持っていなかった国に比べて遥かに戦闘力が勝っていた。あるいは、鉄製の土木工事用具や農耕具を持っていた国は農地開拓が進むために、そうでない国に比べて遥かに農業生産力が優れていた。

 などという論法が幅を利かせています。

果たして本当にそうでしょうか?

 確かにずっと後の16世紀以降においては、火縄銃の生産が飛躍的に伸びたり、農地の開拓開墾が盛んになったりしました。これは、鉄の生産技術があったからこそです。この傾向は日本列島に限った事ではなく、中国やヨーロッパでもほとんど同じ時期から「鉄」の重要性が増しています。

 そういう歴史を鑑みれば、邪馬台国があった三世紀頃には、「鉄」はまだまだ重要ではなかったのではないのか? という疑問が湧いてきます。

 今回は、古代日本における鉄の重要性を考える前提として、まずは世界的な鉄の歴史を俯瞰してみます。

 確認されている世界で最も古い鉄は、エジプト文明やメソポタミア文明から発見されています。紀元前3000年頃に製作されたと見られています。ただし原材料は、人間が作ったものではなく、宇宙から地球に入って来たものとみられています。つまり、隕石に含まれていた鉄を加工したものだという事です。

 よく知られているように、地球上では自然の状態で「鉄」は存在しません。鉄の材料となる酸化鉄だけです。鉄鉱石や砂鉄など、天然の状態では酸化鉄です。これに含まれている酸素成分を炭素と結合させて二酸化炭素として取り出し、鉄が生成されます。しかし、紀元前3000年の古代エジプトにはまだその技術が無く、隕石に含まれていた鉄を見つけ出して、利用していたという事になります。

 人工的に鉄を作り出したのは、紀元前1700年頃とされています。エジプト文明・メソポタミア文明から1300年も後の時代になります。随分時間が掛かったようにも思えますが、仕方のない事ですね? なにせ地球上に存在していなかった物質を、何の学問も無かった当時の人間が、自らの力で作り出す方法を見つけ出したのですから。

 世界で最初に製鉄が始まった場所は、ヒッタイトとされています。現在のトルコ共和国です。

バッチ式の炉を用いた鉄鉱石の還元とその加熱鍛造という高度な製鉄技術により鉄器文化を築いたとされていますが、要は、木炭を使って二酸化鉄を還元するという原始的な方法でした。

 ヒッタイトはその後、トロイ戦争で敗北した為に、製鉄技術は全世界に広がったとされています。

どうやら鉄を持っていたから戦争に強かった、という訳では無さそうですね?

 ここで勘違いされやすのは、ヨーロッパ全土に広がった製鉄技術が、その後の発展に役立ち、現代へも通じていると思われがちな事です。現代の感覚では、ヨーロッパという突出した文明先進地域は紀元前からずっと続いていたと、どうしても思ってしまいますよね? それに比べて東アジアは遅れていたと思ってしまいます。しかし、決してそうではありません。古代の製鉄技術は、ヨーロッパよりもむしろ東アジア地域に於いて、進化が見られました。

 その要点は二つあります。製造に使う材料と、加工技術です。

 まず材料としては、酸化鉄から鉄を取り出す炭素です。鉄鉱石や砂鉄という「酸化鉄」を「鉄」へと還元するには、当初は木材を炭化した「木炭」が使われました。ところがこれだと、少しばかりの鉄を生産する為に、大量の木材を伐採して炭を作らなければなりませんでした。すると、森林破壊が深刻となります。山々は禿山となり、土砂崩れや洪水が頻発するだけではありません。森林地帯から農耕地へ供給される水には本来栄養分が満載なのですが、それが枯渇してしまい農業生産力も低下してしまいます。

洪水が多発して食料供給も滞る。すると、やがて国は亡びる事になります。その為現代の製鉄では、木炭に代わって石炭を原料として行われています。

 ところが、ヨーロッパで石炭が使われ始めたのは、産業革命が始まった頃です。17世紀~18世紀頃、ついこの間の事ですね?

 実際に、16世紀に鉄の生産が増加したイギリスでは、17世紀には鉄生産のための森林破壊が深刻となって木炭が枯渇し始め、17世紀末になると生産量が盛時だった17世紀前半の半分以下まで落ち込み、18世紀中頃には10分の1まで減少していたという事実があります。

 一方で、ヨーロッパよりも遅れて中国に伝わった製鉄技術は、飛躍的な進化を遂げました。

紀元前10世紀頃に伝播しましたが、もちろん最初は同じように木炭を使って行われていました。しかし紀元前二世紀の前漢の時代には、石炭の利用が進み、さらに石炭を焼いて硫黄などの不純物を取り除いたコークスを発明し、コークスを使った製鉄が始められました。

 文献史料としては、4世紀の北魏でコークスを使った製鉄の記録が見られます。以後、時代とともにコークス炉が広まり、10世紀頃には大半がコークス炉となっていました。

 このように生産技術という点では、中国の技術力が圧倒的にヨーロッパを凌駕していたのです。

 東アジア地域がヨーロッパよりも優れていた技術としてもう一つ、加工方法があります。鍛造(たんぞう)と鋳造(ちゅうぞう)という違いです。

 鍛造は、生産された鉄を再度加熱して、ハンマーなどでで叩いて圧力を加えて変形させる手法です。いわゆる「鍛冶屋さん」が行っている鉄を加工する方法です。

一方鋳造は、型に流し込み、冷やして目的の形状に固める加工方法です。

 中国では、紀元前五世紀ころには既に鋳造の技術が使われていたとされています。ところがヨーロッパでは、18世紀になるまで浸透しませんでした。延々と鍛造、すなわち鍛冶屋さんの加工が主流だったのです。その理由としては、産出される鉄鉱石の成分が黒鉛を含有していなかった為に、鋳造した鉄では硬くて脆い鉄になってしまった為だったとされています。

ヨーロッパで鉄の鋳造技術が使われ始めたのは、ほんの数百年前の事であり、産業革命によって世界の主役に躍り出たのと同じ時期だったという事になります。

 それ以前には、中国の技術力が遥かにヨーロッパを凌駕していたのですね?

 中世のヨーロッパの軍隊や兵士の絵には、鉄製の厳つい鎧兜を身に着け、馬鹿でかい鉄剣を持った様子が描かれています。これは明らかに絵空事、ファンタジーです。有り得ません。ほんの一部の上流階級が所有していたのでしょうが、多くの大衆がそんなに大量に所有できるだけの鉄の生産技術は、その当時のヨーロッパにはありませんでした。僅かな生産量と、鍛冶屋さんによる細々とした加工生産しか、ヨーロッパには無かったのです。

 世界規模で鉄の歴史を遡ると、中世までは、ヨーロッパよりも東アジアの方が遥かに進んでいたのは明らかです。

 なおここで、中国とは限定せずに東アジアとしたのは、日本も鉄の先進技術地域の一つだったからです。

次回もまた、古代日本の鉄を考察する前段階として、世界的な鉄の歴史を俯瞰して行きます。

 いかがでしたか?

近代社会を構築したのはヨーロッパである事に疑いようはありません。その為に、遠い昔からヨーロッパ中心の技術力が最先端であって、アジア地域は劣っていたという錯覚に陥ってしまいます。日本国内の近畿中心主義と似ていますね?

 しかし、冷静に文明の骨格をなす材料を一つ一つ丁寧に辿って行けば、それが大きな誤りである事に気が付きます。世界的な発明を見ても、そのほとんどが日本を含む東アジアに源流がある事に気が付きます。今回の鉄だけでなく、造船技術、火薬、磁石など。倭国日本からは、土器や通貨などもそうですね?

バイオリンもアジアが起源?

 古代史とは関係ないのですが、ヨーロッパで発達した楽器を見ていて感じた事があります。

バイオリンとかビオラとかチェロとか、弓をを引いて音を鳴らす楽器です。この弓に最も適しているのは、モンゴル馬の尻尾だというのは有名ですよね? まあそれはそれで良いのですが、楽器自体もモンゴルから伝来したものなのでは? と最近思うようになりました。もちろん大した根拠はありません。

 ウィキペディアによると、バイオリンの起源は、

「中東を中心にイスラム圏で広く使用された擦弦楽器(さつげんがっき)であるラバーブにあると考えられている」

となっているのですが、むしろモンゴルの民族楽器の馬頭琴に近いのではないでしょうか?

馬頭琴も弓で弾く楽器ですし、もちろん弓はモンゴル馬の尻尾です。それになんといっても、形がバイオリンにそっくりだと思いませんか?

 バイオリンのネックの先っちょは、クルクルと渦が巻いたような奇妙が形になっていますが、これは馬の頭が変形したもののように思えます。

 馬頭琴のネックの先っちょを見て下さい。まさに馬の頭ですよね。

 それに、バイオリンの本体に開けられているfの文字のような穴も、馬頭琴には開けられています。

弓といい、ネックといい、本体といい、バイオリンと馬頭琴はそっくりだと思いませんか? そう思うのは私だけかな?

 いずれにしても、13世紀にモンゴル帝国がヨーロッパにまで勢力拡大した時期に、火薬という武器がヨーロッパに伝来して、その後、鉄砲の発明へと繋がったのは有名ですが、楽器も同じようにモンゴルがオリジナルだったのでは? と、ふと思いました。

 まあ、ただの思い付きでした。