邪馬台国のあった越前・福井平野の中で、鯖江を中心とする南部の地域は、早い時期に農地が開けました。
古代の巨大国家が出現する為の絶対条件、「巨大淡水湖の水引」が始まったのが、この地域だからです。
紀元前1世紀頃には、鯖江の地で邪馬台国の礎が築かれました。
そして、300年後には淡水湖の水引が進んで、福井平野全域が農地となりました。
それは、卑弥呼(日巫女)・壱与・・・継体天皇へと受け継がれた邪馬台国・越前の全盛期へと繋がります。
今回は、邪馬台国の起源である鯖江を中心とした日野川流域を調査しました。
この地で発見された数多くの墳墓や遺跡の中から、特徴的な墓や出土品を紹介します。
これまで、卑弥呼の墓の周辺、およびJR鯖江駅周辺地域を散策しました。
JR鯖江駅周辺は、林藤島遺跡のような「世紀の大発見」はありませんが、弥生時代中期頃からの比較的古い墳墓や遺跡があるのが特徴です。
今回、JR鯖江駅周辺から視点を広げて、日野川流域の遺跡を調べました。
また弥生時代だけでなく、五世紀の古墳時代に日本で最初に始まった製紙技術や漆器技術の起源の場所もあります。それらは、現代までも受け継がれているという、興味深い場所でもあります。
これは、JR鯖江駅を中心とした日野川流域の地図です。
これまで、駅近くの長泉寺山古墳群と王山古墳群を散策しました。また、JR福井駅近くの足羽山古墳群から見える邪馬台国の景色も、動画で紹介しました。
今回は、日野川流域の主な遺跡です。特色ある3ヶ所をピックアップして紹介します。
弁財天古墳群、糞置遺跡、小羽山30号墳です。
まず、鯖江駅東側にある弁財天古墳群です。
この写真は弁財天古墳群です。
ここは、今北山・磯部・弁財天の3つの古墳群から成っており、全部で63基の墳墓があります。
時代としては、弥生時代後期から古墳時代までです。
この古墳群の最大の特徴は、高地性環濠集落がある事です。
弁財天古墳群の頂上が環濠集落になっており、しかもその環濠が2重になっています。
1世紀頃の集落で、弥生時代末期の邪馬台国が成立した頃です。出土した土器の種類も豊富で、近江系土器や尾張系土器もたくさん見つかっています。
次に、弁財天古墳群の北に位置する糞置遺跡です。
糞置遺跡は、縄文時代から平安時代までの広い範囲の出土品がある遺跡です。
邪馬台国があった弥生時代に限って見ると、ここの大きな特徴は、赤色の顔料・朱です。
ここでは、田舟・杵・鍬・弓・容器・蓋などの多量の木製品が見つかりました。
この中には、赤色の顔料で塗られたものも発見されています。
また、この遺跡近くの太田山二号墓では、管玉501個と共に多量の朱が発見されています。
この墳墓は1世紀頃のもので、古くからこの地域で「朱」の原料・硫化水銀が生産されていたようです。なお、鯖江を中心とする福井平野南部は、古代において朱を生産するという意味の「丹生」と呼ばれていました。現代でも、「福井県丹生郡」という地名が残っています。
次に、小羽山30号墳です。
小羽山30号墳は、1世紀の四隅突出型墳丘墓です。これは、北朝鮮に起源を持つ墳丘墓で、鉄鉱石の産地とも重なる地域からの影響を受けています。
同じ越前では、鉄器二千点出土の林藤島遺跡近くの、南春日山墳墓と高柳墳墓が、四隅突出型墳丘墓です。この小羽山30号墳の近くでも、多くの鉄剣類が出土しています。
このほか、2世紀の高地性集落で竪穴住居4棟が見つかった西安居地区、小羽山30号墳を含む多数の古墳が見つかっている風巻神山古墳群、朝日山古墳群など、があります。
また、時代は新しくなりますが、5世紀頃に越前に出自を持つ継体天皇の命により産業が興った地域も、この日野川水系です。
日本で初めて紙の生産(越前和紙の生産)が始まった五箇地区、同じく漆の生産(越前漆器の生産)が始まった河和田地区です。
これらの産業は、この地から技術者達が日本全国へ移住して広がりました。
今回は、邪馬台国・鯖江という地から発見された遺跡群を調査しました。特に印象的だったのは、越前における『朱』の生産です。赤い色の顔料『朱』は、古代において『丹』と呼ばれていました。
丹は、顔料・塗料として、防腐剤・防虫剤として、さらには不老不死の薬品の原料として、大変な価値を持っていました。この鯖江市を中心とする地域が『丹生』と呼ばれていたのは、意味深い事です。
日野川・日野山・日巫女が、邪馬台国の起源である一つの根拠になるでしょう。
また、現代に受け継がれている越前和紙や越前漆器が、日本における紙や漆の起源である事も驚きでした。
いずれ、これらも詳しく調査したいと思います。