邪馬台国・越前の中心地は、現在の 『松岡』 と呼ばれる地域です。
ここは、山々から大河の水が福井平野に流れ出す場所で、扇状地の要の岡にあります。
この周辺には、多くの環濠集落跡が発見されていて、翡翠の玉造工房 『林・藤島遺跡』 もこの環濠集落地域に含まれています。
『松岡古墳群』 は、この一帯の古墳群を総称した名称で、実際には幾つもの古墳群から構成されていて、150基ほどの古墳が見つかっています。
弥生時代後期から飛鳥時代までの大型の墳丘墓や古墳があり、副葬品も豊富に出土しています。特に、邪馬台国・卑弥呼時代の出土品は特筆すべき品々が多数あります。
今回は、この『松岡古墳群』の概要と、古墳公園の実写映像をお送りします。
この地図は、邪馬台国があった越前・福井平野です。これまで、卑弥呼の墓、林藤島遺跡、井の向遺跡、三国などを散策しました。
今回は、『松岡古墳群』と呼ばれる地域です。九頭竜川が福井平野に流れ出す場所です。環濠集落跡なども数多く発見されていますので、邪馬台国の中心地とみられます。
墳丘墓や古墳は、一世紀から七世紀頃までの、色々な時代のお墓が発見されています。
この地図は、松岡古墳群を拡大した地図です。この古墳群は、広い範囲の古墳群の総称として用いられています。実際は、大きく五か所に分けられます。原目山、重立山、観音町、二本松山、手繰ヶ城山の五か所です。
この近くには、卑弥呼の墓や、鉄器二千点が出土した翡翠工房・林藤島遺跡があります。また、この地域は、多数の環濠集落跡も発見されています。
卑弥呼の時代に、邪馬台国の中心地として繁栄していた場所です。
なお、この松岡古墳群を九頭竜川で挟んだ反対側には、男大迹王・継体天皇が生まれ育った高向の地があります。また、その山側には、『六呂瀬山古墳群』と呼ばれる、男大迹王一族の巨大古墳群があります。
次に、松岡古墳群の中で、邪馬台国時代に関連する墳丘墓を示します。
まず、二本松山にある南春日山一号墳です。これは、この地域では最も古く一世紀頃の墳丘墓です。山陰地方と北陸地方にしか存在しない「四隅突出型墳丘墓」です。同じく二本松山にある乃木山墳丘墓は、三世紀頃のもので、日本最古の前方後円墳の可能性があります。
そして、卑弥呼の時代に合致するのは、原目山墳墓群です。ここは、弥生時代末期の墳丘墓が50基ほど発見されています。多数の鉄剣や副葬品など、卑弥呼が使っていたと思われる品々が発見されています。また、鉄器二千点出土の林藤島遺跡とは、1キロほどしか離れていません。
今回は、松岡古墳群の最古の墓・南春日山一号墳の画像を紹介しました。「四隅突出型墳丘墓」という卑弥呼よりも前の時代の墓、しかも高句麗に起源を持つ墓です。古代における『鉄』の伝来が、最初に日本海側にもたらされた証拠として、貴重な墳丘墓です。
松岡古墳群には、弥生時代から飛鳥時代までの古墳がありますので、いずれ各種の墳丘墓を紹介して行きます。
また、今回の画像の松岡公園は、二本松山古墳群の入口の場所で、きれいに整備されていました。ここを拠点に山頂の古墳へ登山するようになっています。
山頂古墳までは、往復3時間の小登山コースになっており、邪馬台国全域を見渡せますので、お勧めです。