四隅突出型墳丘墓は、出雲・高志地方にだけ存在する弥生時代末期の特徴のある墳墓です。九州・近畿では発見されていないので、その当時は、出雲と高志(越前)が日本の主役だったのでしょう。
また、出雲と高志の四隅突出型墳丘墓には構造に違いがあり、異なる勢力が競い合っていたか、朝鮮半島の異なる豪族が流れ着いた可能性があります。単なる高志ー出雲の交流ではなく、お互いに支配したり、支配されたりのライバル関係が連想されます。
なお、四隅突出型墳丘墓の原型は、高句麗にあります。現在の北朝鮮です。紀元前1世紀頃に勢力を拡大していた高句麗が、対抗勢力を日本海へと押し出し、ボートピープルとなった人々が高志や出雲に流れ着いたのでしょう。
リマン海流 → 対馬海流 + 北西の季節風
を考えれば、至って自然です。また同時に、鉄鉱石の豊富な北朝鮮東岸からの鉄の流入もありました。文化の流れは、必ずしも九州経由とは限らない事を物語っています。
次のページ: 遺跡と出土品