こんにちは、八俣遠呂智です。
東海シリーズの6回目。記紀に登場する東海地方の強力な豪族・尾張氏。天皇家との強い姻戚関係があったり、壬申の乱での天武天皇派勝利に大いに貢献したりと、大活躍しています。この尾張氏と天武天皇は、実は日本海側の丹後の国と強い結びつきがあります。これは、伊勢神宮が丹後の国と深い縁があるのと同じです。どうやら、東海地方は近畿地方よりもむしろ、古代の先進地域だった日本海側の勢力に属していたようですね?
東海地方の古代史を眺めてみると、日本海勢力、特に丹後の国との深い因縁が垣間見られます。
前回までの動画で、すでにいくつか紹介していますので、改めて整理します。
伊勢神宮近くの辰砂鉱山から産出した朱丹が、丹後半島の赤坂今井墳墓から検出。(3世紀)
伊勢神宮のルーツは丹後の元伊勢・籠神社。(5世紀?)
伊勢神宮の主祭神は、天照大神と豊受姫。(5世紀?)豊受姫は丹後の国風土記の羽衣伝説の主役である天女。
東海地方の豪族・尾張氏は、越前の大王・継体天皇に娘を嫁がせた。(6世紀)
さらにその他にも、強い結びつきが見られます。
熱田神宮に保管されている三種の神器の一つ・草薙剣は、八俣遠呂智神話に由来。(5世紀?)
尾張氏のルーツは伊勢神宮と同じ丹後国・海部氏。(5世紀?)
壬申の乱の勝者・天武天皇は、幼少期に丹後の元伊勢籠神社で過ごした。(7世紀)
ではまず草薙剣についての、東海地方と日本海勢力との関係です。草薙剣は、天皇家に伝わる三種の神器の一つです。古事記や日本書紀の八俣遠呂智神話でも有名ですね?
簡潔にストーリーを述べておきます。出雲の国(現在の島根県)に高志の国(現在の福井県)から八俣遠呂智という怪物が毎年やって来て、娘を一人ずつ奪って行ってしまいます。最後に残った娘も奪われてしまうと泣き叫んでいた老夫婦の元に、高天原を追放された須佐之男命が現れます。須佐之男命は八俣遠呂智をだまし討ちにして、退治しました。その際に、八俣遠呂智の尻尾から鉄の刀が出てきたので、天照大神に献上しました。これが草薙剣です。
この神話は、弥生時代に高志の国によって日本海沿岸地域が支配されていた事を示すもので、私の邪馬台国越前説との一致があります。
植民地支配されていた出雲の国と、宗主国・高志の国という関係です。
そんな日本海側の神話をルーツに持つ草薙剣が、どういう訳か東海地方の熱田神宮に祀られているのです。
日本書紀にはこの由来について、日本武尊が東国を征伐した帰り道に、熱田神宮に奉納した事になっています。
東海地方の豪族・尾張氏が、日本武尊を強力にサポートした事に対する返礼だったのでしょう。また、日本武尊は尾張氏の娘・宮簀媛(みやずひめ)を娶っています。
八俣遠呂智にしても日本武尊にしても、神話の中のお伽話ですので、信憑性云々の議論は不毛です。しかし神話にも元ネタがあったとすれば、東海地方と日本海地域との密接な関係性が根底にあるように思えます。
邪馬台国時代の鉄器は、越前・丹後・但馬・因幡・伯耆という日本海沿岸各地からの出土が突出しています。
そんな先進的な鉄器製造の技術を持った地域だったからこそ、草薙剣という鉄の刀のお伽話が生まれたのは間違いないところです。また東海地方はそんな先進地域と密接な関係だったからこそ、鉄の刀を祀る機会を得る事になったのです。
そんな草薙剣をヤマトタケルから授けられた尾張氏ですが、そのルーツを辿ると、これまた日本海側に行きつきます。日本書紀の上では、天火明命(あめのほあかりのみこと)が祖神とされています。これは神話に過ぎませんが、実在した氏族ですので現実的なルーツを辿ってみると、丹後の国・元伊勢籠神社に辿り着く、という説があります。
元伊勢籠神社は、海部氏系図(あまべしけいず)と呼ばれる日本最古の家系図を持つ海部氏が、代々奉祀を世襲してきました。
そんな丹後の国の海部氏と、東海地方の尾張氏との系図がそっくりなのです。同じ資料に基づいていると考えられます。
尾張氏の系譜は、10世紀初頭に成立した先代旧事本紀の中の「天孫本紀」に書かれています。時代としては、海部氏系図よりも後の時代です。そのため、海部氏系図から引用されたのか、あるいは、尾張氏が海部氏の祖先とする傍系血族なのか? という可能性があります。
また、因幡の国(現在の鳥取県東部地域)にも尾張姓を名乗る一族が実在しています。東海地方の尾張氏との関係を論ずる研究者も多いのですが、残念ながら確定できる要素はありません。
しかしながら、海部氏系図といい、因幡の尾張氏といい、東海地方の豪族が日本海勢力と強く結びついていたと推測する資料には事欠きません。
尾張氏の日本海勢力との結びつきが顕著だったのは、七世紀の壬申の乱です。
天智天皇の弟である天武天皇に味方して、勝利を導きました。戦いに際しては、天武天皇に対して私邸や資金を提供するなど全面的に支援しました。砦を構えたのは、尾張氏の地盤・東海地方の関ケ原あたりだったのは有名ですね?
尾張氏が天武天皇に味方したのには、故郷が同じだったという縁があったようです。
天武天皇の出生について、『日本書紀』には記載がありません。ただし、彼の葬儀の際に、凡海 麁鎌(おおあまのあらかま)という人物が、幼少期について述べている事から、彼が天武天皇を育てたとの推定がなされています。
凡海氏(おおあまし)とは、海の氏族・安曇氏の同族とされ、丹後の元伊勢籠神社の海部氏とも繋がりのある人物です。天武天皇の諱、つまり本名は大海人(おおあま)なのですが、これは凡海氏(おおあまし)や海部氏といった海の氏族の中で育った人物だからこそ付けられた名前なのです。つまり、海人族です。
このように、東海地方の豪族・尾張氏は丹後の国の海部氏と同族だという事だけでなく、壬申の乱で強力に援護した天武天皇もまた、海部氏とは深い繋がりがあります。
今回の考察とこれまでの動画から、東海地方と日本海地域との関係を改めてまとめてみます。
伊勢神宮近くから採掘された朱丹は、丹後半島の弥生墳丘墓から検出されています。
伊勢神宮の主祭神の豊受姫は、丹後国風土記に登場する天女です。
伊勢神宮はもともと丹後の国・元伊勢籠神社にあり、その宮司は日本最古の家系図を持つ海部氏です。
海部氏と尾張氏との系譜は同じです。
壬申の乱で援護した天武天皇は、海部氏に育てられました。
因幡の国(鳥取県)には、尾張氏の傍系一族がいました。
八俣遠呂智の尻尾から出てきた草薙剣は、熱田神宮に祀られています。
尾張氏は越前(福井県)の大王・継体天皇に娘を嫁がせています。
これらのように、丹後の国をはじめとする日本海地域と東海地方との関係は、あまりにも多く、多岐にわたっています。単なる偶然とは思えませんよね?
弥生時代末期、すなわち邪馬台国の時代には東海地方は邪馬台国・越前を盟主とする女王國連合に味方した一つの地域だったと見て、間違いなさそうですね?
いかがでしたか?
東海地方を考察して行くと、日本海側勢力との関係がとても深い事が分かりますね? これは地理的に当然で、東海地方から西へ行くには、関ケ原から琵琶湖の北部に抜けた方が便利だったからです。琵琶湖北部は、若狭湾とは目と鼻の先。日本海側の先進文明が簡単に東海地方に入って来ていたのも頷けます。古代氏族・尾張氏についても、邪馬台国(越前)の大王・継体天皇に、娘を嫁がせているのも納得が行きますね?
畿内は東海と協調せざるを得なかった?
飛鳥時代の壬申の乱の後に設けられた古代三関(さんげん)。治安維持のために畿内と東国との間の通行を厳重に監視するのが目的だったようです。東海道の鈴鹿関、北陸道の愛発関、そして関ケ原にあった不破関です。三関から東は東国または関東と呼ばれていたようです。いわゆる蝦夷地という扱いです。
これは、弥生時代からの勢力分布からも、とても納得が行きます。邪馬台国を盟主とする日本海勢力と、それと同盟関係にあった東海地方。近畿地方にとっては常に脅威であり、簡単に畿内入り込まれては困る存在だったからでしょう。また、近畿地方の東側に三つの関所が置かれたのに対して、瀬戸内海側には関所はありません。これも弥生時代の文化圏が近畿と瀬戸内とは同じでしたので、納得が行きます。
しかし、敵国だった東海地方の伊勢神宮が最も格式の高い神社とされたり、熱田神宮に草薙剣が祀られたりしています。これは、奈良時代、平安時代という時間の流れの中で、東海地方の勢力と協調しなければ国家運営がままならなかったからではないのかな? と考えます。これについては、また別の機会に。