投馬国から不弥国へ向かって出航すると、まず『因幡』に至ります。因幡は飛鳥時代以降の行政区分で、現代では、鳥取市周辺地域となります。この地域は、記紀に記されている大国主命神話の「因幡の白兎」が、あまりにも有名です。弥生時代の遺跡は、少ないながらも特筆すべきものがあります。渡来人達が殺害された遺骨などが出土している青谷上寺地遺跡です。四隅突出型墳丘墓も発見されており、この地域から西が、出雲の国の文化圏となります。
この地図は、投馬国から不弥国までの航路です。邪馬台国・越前から陸路一月で投馬国・但馬に到着し、そこから船団を組んで西の方角へ向かいます。船団は古代の小型準構造船です。これは、但馬の袴狭遺跡から出土した船団線刻画に、当時の様子が描かれています。
船団は、地乗り航法で西へ進み、まず因幡の国に入ります。ここは、現代の鳥取県鳥取市を中心としたエリアです。
弥生時代における文化としては、投馬国・但馬とは異なっており、ここからが出雲の国の一部だったと推定されます。
この地図は、投馬国から不弥国までの航路です。邪馬台国・越前から陸路一月で投馬国・但馬に到着し、そこから船団を組んで西の方角へ向かいます。船団は古代の小型準構造船です。これは、但馬の袴狭遺跡から出土した船団線刻画に、当時の様子が描かれています。
船団は、地乗り航法で西へ進み、まず因幡の国に入ります。ここは、現代の鳥取県鳥取市を中心としたエリアです。
弥生時代における文化としては、投馬国・但馬とは異なっており、ここからが出雲の国の一部だったと推定されます。
鳥取平野や倉吉平野では、弥生時代の特徴的な遺跡は発見されていませんが、それらの中間地点に注目すべき遺跡が発見されています。青谷上寺地遺跡です。
この遺跡からは、2世紀頃の人骨が多数発見されていて、脳みそも見つかっています。
人骨の110点に殺傷痕が見られ、殺害された遺体である事が分かっています。さらに近年のDNA鑑定で明らかになったのは、そのほとんどが渡来人系だったという事です。
これは何を意味するのでしょうか?
また、発掘された銅剣には、「サメ」の線刻画が描かれていました。大国主命の因幡の白兎には、言うまでも無く「サメ」が登場します。弥生時代の出土品と、神話とが一致する貴重な資料です。
青谷上寺地遺跡は、山地が日本海にせり出した僅かな低地部分から発見されました。農業生産はほとんど期待できない地域です。弥生時代のちっぽけな集落での大量の人骨発見、しかもそれらは殺害された人骨。被害者は渡来人達。この地で何が起こっていたのか、想像を掻き立てられます。次回は、この遺跡の謎や四隅突出型墳丘墓、さらには大国主命神話も含めて、弥生時代の因幡の国での特殊事件について推察して行きます。