魏志倭人伝など、文献だけから仮説を立てると、こうなってしまいます。典型例を示します。
まず、日本の中で邪馬台国がどういう国なのか、できるだけ明確にする推論を立てていきたいと思います。(ある程度イメージをつかむ為)推論の為に、倭人伝の中のできるだけ確からしい記事を使う必要があります。それは、「(各国の首長が)日本の女王に卑弥呼を共立した。」という部分です。
中国の皇帝は基本的に軍事力で他を圧倒して支配者になりますので、諸侯によりまつりあげられて国王になるという共立の形は、中国人の概念には存在しないと思うのです。
したがって上記の記事は中国人の想像によって書けるものではなく、事実であった可能性が非常に高いということです。
そこで、この「共立」いうことをベースにして推論をたてていきます。
①推論1-1
「卑弥呼の邪馬台国は、軍事力によって他を圧倒して、日本全体を支配したのではない。」
・・・これは自明でしょう。
推論1-2
「また政治は、各国の首長たちによる合議政治である。」
・・・これは、共立という形をとったときの絶対条件であったと思うのです。
そうしないと各国の王がこの形態に納得しない、つまり成立しないと思うのです。
以下さらに推論を発展させていきます。
②推論2
「邪馬台国は国力(軍事力)が、日本で1番ではなかった。」
これは、共立という言葉から読み取れます。
もしも国力(軍事力)が2位以下の国々が、軍事力1位の卑弥呼を女王にしたのならば、それは共立という言葉ではなく、屈服・服従したという事になり、推論1-1に反します。
③推論3
「邪馬台国は国力(軍事力)が、日本で2番でもなかった。」
軍事力1位の国の王は、軍事力2位の国が最大のライバルで絶対に自分の上の立場には、立たせたくないと思うでしょう。(発言力も大きいし)
従って2番でもないという事になります。
④推論4
推論2と3から予想されるのは、邪馬台国が日本の中で、国力3位以下のあたりさわりのない国であったという事です。 古代日本国の中で、奴国、出雲、高志、毛野(けぬ)は100万石以上クラスの最強国で、(奴国は100万はないけど、鉄器を使う強豪軍事国家なので)、このあたりは上記推論から考えると、 邪馬台国には比定しにくいのではないでしょうか。
あと、卑弥呼を共立したのはまさに、この、奴国、出雲、高志、毛野(けぬ)の王たちであったと考えます。
⑤推論5
推論1-2より、卑弥呼の神託による政治は、各国の首長たちの合議の結果を、卑弥呼の神託という形で行われたと思います。つまり卑弥呼が占いで気まぐれに政治を決定したわけでなく、裏で首長たちが決定した事を、神がかりに話したと思うのです。
⑥推論6
「各国の王は、それ以降、邪馬台国から自分の国に帰れなくなった。」
それは、一旦、合議制に決まったなら、自分の国に帰ってしまうと政治に参加できない(使者を送るレベルでは日にちがかかりすぎる為)事になり、まるで他国の支配を受ける状態になる為、帰国できなくなった、つまり、各国の王たちは全員、邪馬台国で暮らすようになったと思います。