トンデモ説のはしり 島原説

 今回からは、弥生時代における中南部九州の具体的な様子を調査して行きます。魏志倭人伝に記されている末蘆国があったのは、佐賀県と長崎県にまたがる肥前の国の北部地域でした。そこは草木の生い茂っている描写がなされており、僻地のような場所でした。女王國の支配が及ぶ地域とはなっておらず、弥生遺跡も特筆すべきものはありません。

 今回は、末蘆国の南にあたる長崎県南部地域です。島原半島を中心とする地域で、「まぼろしの邪馬台国」の舞台となった場所です。

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島原半島

 この地図は、肥前の国・長崎県と佐賀県を拡大したものです。

魏志倭人伝に対海国と記されている対馬、一大國と記されている壱岐島があります。また、九州への最初の上陸地点である末蘆国も玄界灘沿岸のこの地域です。以前は、松浦郡と呼ばれていた場所で、現在でも、長崎県と佐賀県の両方に、松浦という地名が残っています。

 今回注目するのは、長崎県の南部地域である島原半島です。ここは、雲仙普賢岳という現代でも活発に活動を続けている火山がある事でよく知られています。

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宮崎康平

 この地域を邪馬台国と比定した古代史研究家がいます。宮崎康平氏です。邪馬台国ブームに火をつけた男として有名です。

 1917年に長崎県島原市に生まれ、東京で脚本家、地元で実業家として活躍した後、目の視力を失います。妻の協力のもと、九州全域や朝鮮半島の古代史を調べ上げ、島原を邪馬台国と比定しました。この辺の顛末は、1967年に自身の著書「まぼろしの邪馬台国」にて発表しています。また、2008年には、吉永小百合が彼の妻役で主演した映画が公開されています。

 邪馬台国島原説は、残念ながら宮崎康平氏のみの主張で終わってしまいました。しかし、彼の功績は別の所にありました。それは、それまでプロの古代史研究家だけの世界であった邪馬台国論争が、アマチュアの古代史研究家をも巻き込んで、激しい議論を繰り広げるようになった事です。その先鞭を付けた人物という事です。

 邪馬台国の推定地は50カ所を超え、一大ブームを巻き起こしました。この背景には、宮崎康平氏の熱い人生があったのです。

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農業はダメ

 宮崎氏の功績は偉大ですが、その説は陳腐なものでした。自分自身の出身地を強引に邪馬台国にしてしまおうという、極端な我田引水の説でした。まず、農業の視点から言うと、全くお話になりません。平地自体がほとんど無い場所ですので、大規模な水田稲作は不可能です。しかも、土の質は黒ボク土ですので、稲作には全く適していません。

 ここの住んでいた弥生人は、海産物の狩猟や焼畑農業という効率の悪い食料調達しか出来なかったでしょう。魏志倭人伝に記されている女王の都・邪馬台国は七万戸ですので、少なくとも20万人以上の人口があった事になりますが、島原では、とてもとてもそんなに大勢の人々を扶養できるだけの農業生産力はありません。

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威信財なし

 考古学的にも、島原に強力な王族が存在していた根拠となる出土品は、全くありません。多少の弥生土器の出土はありますが、権力者が持つ鉄剣・鉄刀・宝石の類の威信財の出土がないのです。

 唯一、考古学的な価値があるのは、支石墓です。これは朝鮮半島に起源を持つお墓で、その名の通り、石で支えた形状になっています。以前の動画、「外国人墓地?末蘆国の支石墓」で述べましたように、長崎県や佐賀県から多く見つかっている縄文時代末期から弥生時代に掛けてのお墓です。

 具体的には、長崎県南島原市の原山支石墓群(はらやましせきぼぐん)があります。

島原半島の普賢岳(ふげんだけ)から連なる標高250メートルの場所にあります。発掘調査では約60基の墓地が発見されています。支石墓の形式はは、朝鮮半島の形態と類似点が多くみられます。この遺跡は、朝鮮半島の人々が古来よりこの地に上陸して勢力を広げて行った事を物語っています。

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ブームに火をつけた男

 文献史学上では、魏志倭人伝を曲解すれば、島原が女王の都・邪馬台国であると、いくらでも解釈できます。九州説お得意の、方角の曲解、距離の曲解、および邪馬台国は超大国ではないという曲解です。

 一方、日本の古文書、古事記や日本書紀に登場する事はありません。景行天皇、日本武尊、などのヤマト王権による熊襲征伐では、九州全域の反乱を抑えた事になっていますが、島原を特定するような記述がないのです。

 これらのように、長崎県の島原半島を中心とする地域が邪馬台国だった可能性は、非常に低いでしょう。

繰り返しになりますが、邪馬台国ブームに火をつけた男・宮崎康平氏が島原出身だったことが、この地の唯一の特筆すべき成果だったように思えます。

 島原に限らず、四国・徳島のように、その地の出身者が盛んに我田引水の理屈で地元を邪馬台国に比定しています。私の唱える越前説も、かつては同じように地元の有力者が書籍を出版していたようです。自分の生まれ育った土地が、日本列島で最も古い歴史を持ち、女王・卑弥呼が存在していた、とすれば誰しも胸がワクワクしますよね。

 しかし、日本全国からの支持者を集めるには、もっと客観的で、フラットな視点で説を展開しなければならないでしょう。宮崎康平氏の功績は尊敬に値するものの、「地元びいき」という反面教師の側面もありました。