発掘調査から得られた出土品の年代推定をする手法は、「編年」から最先端科学技術へと進化しています。
この手法によって、数千年前の縄文時代を中心とした遺跡の年代推定などにおいて、さまざまな成果が報告されています。
しかしながら、邪馬台国が存在していたとされる1800年前の比較的若い遺物の年代推定には、疑問符が付く技術です。
今回は、放射性炭素年代測定の問題点を中心に述べて行きます。
放射性炭素年代測定は、編年とは異なり、科学的な手法ではあります。しかしながら、様々な誤差要因が内在していますので、絶対的な方法ではありません。
誤差の要因としては、
・炭素14の半減期の幅 と
・周辺環境の違い
などがあります。
まず半減期の幅です。
炭素14の半減期は、5740年とされていますが、実際にはプラスマイナス40年程度、トータルで80年の幅を持っています。
例えば、5740年前の縄文時代の出土品を年代鑑定した場合、5700年から5780年前という幅の誤差を持った結果となります。この時代の誤差はほとんど問題にならないでしょう。ところが、これを1800年前の邪馬台国時代に当てはめてみます。すると、1800年前プラスマイナス13年、1787年から1813年前の、トータル26年の誤差が生じます。
オーソドックスな編年の手法では、土器の形状や文様などから25年単位で弥生時代を区切っていますが、放射性炭素年代測定でも、半減期の幅だけでその範囲を超えてしまうのです。
さらにそのほかにも、さまざまな誤差要因があります。
次に、周辺環境の違いによるものです。
炭素14年代法は、大気中の二酸化炭素の濃度が常に一定であることを前提としますが、
・時代によって
・生物の成育環境によって
・地域によって
・保存状態によって
微妙な差異が生じています。これにより年代測定結果に影響を及ぼしているのです。誤差を定量的に表したデータはありませんが、邪馬台国時代の鑑定結果には、炭素14の半減期の誤差と合わせて、合計で50年くらいはあると、一般的に言われています。
この50年の誤差は、大問題です。
例えば、卑弥呼がとっくに亡くなっているはずの西暦300年の遺物が、西暦250年という卑弥呼が死亡したばかりの時期に推定されてしまうのです。
数万年前のナウマンゾウを追いかけていた原始時代の鑑定であれば、あるいは、縄文時代でさえも、絶大な威力を発揮する科学技術ではあります。しかし、数十年の違いが大きな影響を与える弥生時代ともなると、この技術から得られたデータをそのまま鵜呑みにする事はできないでしょう。
それどころか、考古学研究者やマスコミたちの恣意的な印象操作に悪用されているケースも目立ちます。
放射性炭素年代測定結果が悪用されたケースとして、2018年に奈良県桜井市纒向学研究センターから発表された桃の種の年代測定結果があります。
これは弥生時代末期の日本最大の集落遺跡である纏向遺跡から発見された2000個の桃の種を、炭素14による年代測定をした結果、邪馬台国時代と一致した、と発表されたものです。大手マスコミは一斉に「邪馬台国確定!」とこれを報道しました。
ところが実際には、邪馬台国時代とマッチしていたのは2000個の内のほんの数個だけで、誤差を考慮すれば全てがもっと後の時代のものだと分かったのです。
マスコミにしても嘘を報道したわけではありません。2000個の内の極めて稀なケースが、邪馬台国時代という測定結果が得られていたのですから。マスコミの怖いところですね。マスコミ情報を受け取る側は、すべての出土品が邪馬台国時代のものだと思い込んでしまいますよね。
特に、「最先端科学技術で立証!」などと枕詞まで付こうものなら、信じてしまいます。
悪い点ばかり述べてきましたが、弥生時代以前の測定結果からは、輝かしい成果もたくさんあります。
例えば縄文時代です。この技術が使われる前までは、縄文時代は数千年前からとされていました。オーソドックスな「編年」の手法で、土器類からの推定でした。
これを放射性炭素年代測定を用いて、土器に付いた「おこげ」を測定するなどした結果、縄文時代は一気に一万年以上も遡ったのです。素晴らしい成果ですねぇ。
日本人の先祖である縄文人が、世界でもっとも古くから文明を持っていたとされるのは、この技術のおかげです。
「歴博」という言葉をご存じでしょうか?
国立歴史民俗博物館の略語なのですが、一般には違った意味で使われています。年代操作を揶揄する時に、
「歴博でしょ?」
これは奈良県の纏向遺跡を邪馬台国にしたいが為に、国立歴史民俗博物館が結論ありきで、強引に年代を変更している事に由来しています。
最先端科学技術も使い方によって、良くもなり、悪くもなります。国から発表されるデータも、しっかりと見極める必要がありますね。