古事記

 日本の古代文書の中では、邪馬台国の記述は無いとされています。ところが、邪馬台国を特定できる幾つかのヒントが古事記に隠されていることを、見つけ出しました。

 そもそも古事記とは、712年に太安万侶が編纂し、元明天皇に献上された日本最古の歴史書です。内容は、様々な物語があり、神代における天地の始まりから推古天皇の時代に至るまでの出来事が、記載されています。真実とは程遠い神話や伝説なども含んでいますが、日本書紀と共に、天皇家を正当化する歴史書となっています。従って、天皇家に不都合な事情は削除され、または形を変えて伝説化されています。

 

古事記編纂の背景

 編纂は、飛鳥時代から始まり、平城京遷都の頃に出版されました。

 古事記や日本書紀の編纂は、飛鳥時代の有名な大事件「大化の改新」「壬申の乱」という複雑な権力闘争が背景にあるようです。第26代継体天皇以来、長期間権力の中枢にいた蘇我一族を失脚させ(蘇我入鹿の暗殺など)、同時に多くの歴史書が消失させられたとされています。その後、日本史を再編集したのが、古事記です。古事記編集には、その当時の最高権力者「藤原氏一族」の影響が色濃く現れています。たとえば、

 ・蘇我氏の地盤の高志(越)や蝦夷、物部氏の地盤の出雲など、日本海側勢力を蔑む記述が多々見られる

 ・藤原氏の地盤である九州を、初代天皇(神武天皇)の出身地であると記載している

 ・九州出身の神々が、日本全国を治めたような記述になっている

など、藤原氏という「勝者の論理」で書かれています。

 ただし、天皇に対する礼節は忘れていないようで、継体天皇の出身地(越前)については、記載していません。日本海側では、出雲 → 因幡 → 但馬 → 丹後 → 越前を飛ばして越中 → 越後 → 信州 → 関東地方 となっています。これは、越前が継体天皇の出身地であることを、忖度した証でしょう。

 このように、藤原氏主導で書かれた日本最古の歴史書ですので、政敵だった蘇我氏の地盤の越前が、かつて邪馬台国だったと記載する訳には行かなかったのです。

 

 

古事記に出てくる邪馬台国

 そんな古事記でも、幾つかのヒントが隠されています。たくさんあるのですが、あまり細かい事象を邪馬台国と結びつけると、我田引水になってしまいますので、ここでは4点に絞って説明します。

 

 

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