卑弥呼の次なる功績は、装飾品の製造です。
緑色凝灰岩を素材とした管玉、瑪瑙(メノウ)等を素材とした勾玉、腕輪形石製品など、当時の装飾品の多くを邪馬台国で加工・生産していました。これらの製造工程には、錐や鑿などの鉄製工具類が使われ、邪馬台国における最先端技術(鉄製品)の受容の実態を物語っています。(林・藤島遺跡)
ここで製造された装飾品は、卑弥呼自身の装飾だけでなく、朝鮮半島や中国大陸へも輸出され流通しています。これは、加工貿易を得意とする日本の原点です。通貨経済が未発達だった当事において、装飾品の加工・製造・輸出は、朝鮮半島からの鉄の輸入に重要な役割を果たしたのです。
また、邪馬台国が雪国の越前だったことも、一因であると思われます。冬の間、雪に閉ざされるこの地において、冬場の仕事としての装飾品製造や鉄器具類製造は打ってつけだったのでしょう。
一方、敵国である狗奴国(近畿地方)は、米の生産高は増大したものの、鉄の重要性や、商品としての装飾品の価値を認識していませんでした。冬場の気候が良い近畿地方ゆえ、農閑期は古墳作りに精を出すという愚行に走っていました。そして、五世紀に邪馬台国(越前)から現れた強力な指導者(卑弥呼一族の末裔の継体天皇)に支配されることになったのです。
実際、継体天皇の出現以降は、近畿での巨大古墳作りは一気に減少しています。
卑弥呼の政治家としての判断力の凄さを感じます。
次のページ: 対馬海流の重要性