「古代史と無関係!」とご批判の多いシリーズですが、ちょっと息抜きです。古代史は、小難しい古文書の世界ではありません。現代人と同じ人間社会です。組織があって、主役がいて、脇役がいて、サポートする人々がいて、その他大勢の名も無き民衆がいて・・・。
今回は、卑弥呼の侍女です。魏志倭人伝には、卑弥呼の周りに1000人もの侍女がいて、自律的に卑弥呼の世話をしているとあります。祭事を司る巫女さん集団だったのでしょうか?
その頂点に立つ卑弥呼を、歌や踊りで盛り上げていた様子が窺えます。
現代で例えるならば、AKB48?、モーニング娘。?、あるいは日本全国の高等学校にいる女子応援団?
今回は、侍女1000人に相当する若き女性達を、現地の有名人の中から比定します。
魏志倭人伝の卑弥呼に関する記述には、次のような内容があります。
「以婢千人自侍」侍女千人を用い、自律的に侍る。
卑弥呼が住んでいた館の周りで、千人もの女性たちが自主的に世話をしていたのでしょう。
江戸時代の大奥みたいですね。
弥生時代の事ですから、祭りごとを執り行う為の巫女さん集団だったのかもしれません。あるいは、
祭りごとの度に、歌を歌ったり、踊りを踊ったりして、卑弥呼を盛り上げていた美少女集団だったのかも知れません。
今の時代の芸能人で言えば、歌って踊れるAKB48のような若い女の子の集団だったのでしょうか。
早速、邪馬台国の現地取材をしました。
AKB、乃木坂、欅坂などの秋元康プロデュースのグループには目立った出身者は残念ながらいませんでした。
時代を大きく遡って、1980年代後半には、秋元康が最初にプロデュースした「おニャン子クラブ」があります。工藤静香、国生さゆり、などが参加していた事で有名ですね。この中にいました。
高井麻巳子です。福井県小浜市という場所の出身です。当時結構人気があり、オリコンチャート1位のシングル曲も出していたのですが、突然、結婚、引退してしまいました。残念! ちなみにお相手は、秋元康です。現在は、秋元康事務所の監査役だそうです。
次に、モーニング娘。です。いました。高橋愛です。モーニング娘。史上最長のリーダーを務めた彼女ですが、皮肉にも秋元康のAKB48勃興期と重なり、今一影が薄かったですね。現在でも、防虫剤「ムシュウーダ」のCMに出演しています。
あと、グループではありませんが、美女では道端三姉妹がいます。ハーフのモデルさん達が、なんで福井出身なの?
音楽演奏家ですが、826aska。天才エレクトーン少女で、YouTube動画の再生回数が世界中から2000万回以上もあるそうです。演奏が上手いかどうかは、私には分かりませんが、かなりの美少女です。福井県鯖江市のご自宅で演奏されているとの事です。
また、お隣りの石川県からは、新進気鋭の美少女女優・浜辺美波がいます。ん~美女が多い! なお石川県は加賀の国や能登の国ですが、飛鳥時代までは、越前の国の一部分でしたので、石川県出身者も、邪馬台国出身として問題ないでしょう。
私の取材では、こんなところですが。
残念ながら美少女が点在してはいるものの、卑弥呼の侍女1000人には遠く及びません。
見方を変えて、ご当地アイドルなどを当たってみました。すると、とんでもない存在に出くわしました。
芸能人ではありません。普通の女子高生グループです。福井県立福井商業高校チアダンス部。名称は「JETS」です。
2017年に「チア☆ダン 女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話」という広瀬すずが主演した映画の、モデルになった学校です。TBSの地上波でもドラマ化され、土屋太鳳が主演しています。
福井商業高校は、卑弥呼の墓からは直線距離で2.5キロ、アパ社長の出身中学からは直線距離で1.5キロほどの地点です。まずまず近いかな?
このチアダンス部「JETS」の実績ですが、なかなかスゴイ!
2006年に創部。そのわずか3年後の2009年には、全米チアダンス選手権大会優勝を達成。
2012年から同大会を4連覇するなど計6回の優勝歴を誇っています。映画の謳い文句の「ホントの話」は、本当の話だったようですね。
当然ながら、この学校のスポーツ大会の応援団としても活躍していますが、それだけでなく、地元のイベントなどにも引っ張りだこだそうです。
現在は、日本全国からの越境入学もあるそうで、部員数はゆうに100人は超えているようです。地元の電車やバスの中では、「JETS」の文字が入ったバックを持った女子高生、つまり彼女達の通学風景も普通に見られるようです。
そもそも、チアダンスは他の競技を応援し、活力を与えるのが目的です。卑弥呼の侍女1000人という応援団としては、ピッタリでしょう。
卑弥呼の侍女は、JETSでした。
ところで、弥生時代という人口が少なかった時代に、卑弥呼の侍女が1000人も集められていたのは、不思議ですね。邪馬台国は七万戸と記されていますから、かなりの割合の女性が、卑弥呼の周りに侍っていたのです。
もしかすると、邪馬台国は巫女たちに牛耳られた女性中心の国家だったのかも知れませんね。
卑弥呼が亡くなった後、倭国は再び内乱状態となりましたが、卑弥呼の宗女・壱与によって治まったとされています。その次回は、壱与を探します。