魏志倭人伝には、女王國の卑弥呼の時代、中国・魏へ二回使者を送っています。
最初の使者の責任者だったのは、難升米(なしめ)という人物です。魏の皇帝から下賜品を賜った後も、都(洛陽)に留まっていたとみられ、倭人伝には何度も登場しています。現代で言えば、在中国・日本国大使のようなものです。
今回は、現代の邪馬台国出身者の中から、卑弥呼の使者・難升米に相当する人物を比定します。
魏志倭人伝に記されている女王國から中国・魏への使者・難升米に関する記述は、次のように始まります。
「景初二年六月 倭女王 遣大夫難升米等詣郡 求詣天子朝獻 太守劉夏遣吏将 送詣京都」
景初二年(238)六月、倭の女王は、大夫の難升米等を派遣して帯方郡に詣で、天子に詣でてお献上品をささげたいと求めた。太守の劉夏は官吏を派遣し、難升米等を引率して送らせ、都(洛陽)に詣でた。
地図で示しますと、西暦238年に倭国の女王・卑弥呼が、難升米という人物を筆頭とする使節団を、中国・魏へ派遣しました。魏の支配地だった帯方郡(現在の韓国ソウル市周辺)まで行き、「朝貢品を持って来たので魏の皇帝にお目通りしたい」と願い出ました。そして責任者・劉夏の指示で、難升米たちを都・洛陽まで送らせた、という事です。
魏志倭人伝にはさらに、魏の皇帝の勅書の内容が書かれています。要約すると、「多くの献上品は確かに受け取った。遠いという表現を超えた遥か彼方からご苦労であった。これはわが国に対する忠義の表れである。とてもいとおしい。
これをもって「親魏倭王」と認め、金の印鑑を授ける。云々・・・。
「其年十二月 詔書報倭女王曰 制詔 親魏倭王卑弥呼 帶方太守劉夏遣使 送汝大夫難升米 次使都市牛利 奉汝所獻 男生口四人 女生口六人 班布二匹二丈以到 汝所在踰遠 乃遣使貢獻是汝之忠孝 我甚哀汝 今以汝為親魏倭王 假金印紫綬 装封付帶方太守假綬 汝其綏撫種人 勉為孝順 ・・・」
その年の十二月、詔書が倭の女王に報いて、こう言う。
制詔、親魏倭王卑弥呼。
帯方太守、劉夏が使者を派遣し、汝の大夫、難升米と次使、都市牛利(つしごり)を送り、汝の献上した男の生口四人、女の生口六人、班布二匹二丈をささげて到着した。汝の住んでいる所は遠いという表現を越えている。すなわち使者を派遣し、貢ぎ献じるのは汝の忠孝のあらわれである。私は汝をはなはだいとおしく思う。今、汝を以て親魏倭王と為し、金印紫綬を仮し(与え)、装封して帯方太守に付すことで仮(かり)に授けておく。・・・云々。
難升米たち倭の使節団は、魏の皇帝から直接お言葉を頂戴したのです。遥か遠い倭国からの使者たちをねぎらい、金の印鑑をはじめとする豪華な品々がプレゼントされたという事です。
なお、この後もずっと難升米は洛陽の都に留まっていたようです。
魏志倭人伝では、政治状況の変化に応じて、何度も難升米を窓口として女王・卑弥呼との連絡を取っています。日中関係は非常に良好だったようです。
さて、このような女王・卑弥呼の代理人のような役割を果たしていた難升米ですが、現代に例えるとどのような人物でしょうか。
卑弥呼はアパ社長ですので、彼女の夫でアパ会長の元谷外志雄さんでしょうか?
彼も邪馬台国の石川県小松市出身です。弥生時代の拠点集落・八日市地方遺跡で有名ですね。ただ、社長よりも上の会長という立場ですので、代理人というにはちょっと不釣り合いです。
あと、この近くでは元総理大臣の森喜朗氏が石川県根上町という小松市のお隣りのご出身です。さすがに日本のトップに立った人を、アパ社長の代理人とするわけにいきません。なお、メジャーリーガーの松井秀喜さんも全く同じ場所の出身なんですねぇ。なんか意外です。
卑弥呼の代理人・難升米にふさわしい人物。いました。
政治評論家の田﨑史郎氏です。福井県三国町の出身です。三国町は邪馬台国の港町。卑弥呼の使節団はこの地から中国・魏へ旅立ったのでしょう。
田﨑氏は現在、TBSテレビのコメンテーターとしてご活躍の方です。
TBSと言えば、朝日新聞と同じ左寄りの毎日新聞系列。その中で、田﨑史郎氏はやたらと安倍政権擁護の発言を連発しています。完全に右寄りの政治評論家ですが、あまり違和感はありませんねぇ。卑弥呼・アパ社長も、卑弥呼の宗女・壹與も、右寄りの素晴らしい方々ですので、ピッタリです。
彼の発言は、言葉は悪いですが、安倍政権の太鼓持ちのような、安倍晋三首相の考えをテレビで代弁している代理人みたいなところがあります。当然ながら左寄りのメディアは、「安倍内閣の犬」と批判しています。
田﨑史郎氏の経歴をみましたところ、卑弥呼と意外な接点がありました。
地元の超名門・藤島高校を卒業されています。田﨑氏の方がアパ社長よりも三歳年下なので、高校での接点はありませんが、思想だけでなく微妙なつながりもあります。
それと、卑弥呼の宗女・壹與との接点もありそうです。稲田朋美衆議院議員が防衛大臣に就任した際には、やたらと褒めまくっていました。そして、裏話を紹介していたのを覚えています。
「稲田議員の眼鏡は伊達メガネ。地元の眼鏡産業・鯖江市を応援するため」だとか、「稲田議員の黒タイツは、地元の繊維産業を応援するため」などと、やたらと詳しかったです。地元のよしみもあるのでしょう。
また、安倍晋三首相とのつながりも、ぷんぷん感じます。
というわけで、卑弥呼の使者・難升米は、「安倍内閣の太鼓持ち」、田﨑史郎氏でした。
北陸の地域性でしょうか。森喜朗元総理といい、稲田議員といい、アパ社長といい、田﨑史郎氏といい、みんな右寄りで愛国精神旺盛です。都会に住んでいると、「右寄り」は怖い極右のイメージになってしまうのですが、北陸地方はホンワカしていて良いですね。1800年前の邪馬台国の末裔たちが、現代に蘇ってこの日本を救ってくれているのでしょう。 次回は、邪馬台国と関係していた渡来人を比定してみます。